新幹線が深夜0:20に東京駅着!?異例の“ナイトひかり”が誕生したワケ1970年撮影 Photo:Paolo KOCH/gettyimages

「2025大阪・関西万博」が閉幕した。振り返れば1970年に大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」、公式略称「EXPO'70」は延べ6421万8770人もの来訪者数を記録し閉幕した。大成功を下支えしたのが、大量高速輸送能力に優れた「鉄道」の進化だ。その一端を紹介していこう。※本稿は、松本典久『鉄道と万博』(交通新聞社)の一部を抜粋・編集したものです。

EXPO'70で新幹線ナイト「ひかり」が誕生

 大阪万博(本稿ではEXPO'70を指す)では夜景の美しさも評判となった。3月中はまだ気温が低かったこともあり、21時の閉館時刻前に帰宅する流れが始まり、22時閉門もスムーズな感じだった。しかし、ゴールデンウィークが始まる4月29日からは閉館21時30分、閉門22時30分となることもあり、観客の引き上げも遅くなると予想された。

 国鉄本社の旅客局では3月25日に万博輸送対策会議を開き、夜の時間帯に新幹線3本程度の増発、そして在来線にも夜行1本の設定を計画することになった。その後、4月19日には大阪万博の入場者数が1000万人を突破、連日30万人近くが入場する盛況が続いたのである。

 国鉄では3月25日の万博輸送対策会議で提案された増発列車を具体化し、新大阪駅20時30分発東京行き最終「ひかり88号」の後に21時10分発東京行き臨時「ひかり326号」、さらに中京地区向けに22時05分発臨時「こだま432号」を設定、4月29日から運行を開始した。万博会場内に設置された電光掲示板でもこの臨時列車運転情報は和文および英文で紹介され、人気列車となったのである。

 この「ひかり326号」の東京到着時刻は0時20分となった。新幹線の場合、夜間は線路の保守点検を行うこともあり、原則として深夜0時から朝6時まで営業列車の設定を行っていない。これは今に続く基本ルールだが、それを曲げての運行となった。夜行列車ではないが、一部ではナイト「ひかり」とも称されたようだ。