
「2025大阪・関西万博」が閉幕した。振り返れば1970年に大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」、公式略称「EXPO'70」は延べ6421万8770人もの来訪者数を記録し閉幕した。大成功を下支えしたのが、大量高速輸送能力に優れた「鉄道」の進化だ。その一端を紹介していこう。※本稿は、松本典久『鉄道と万博』(交通新聞社)の一部を抜粋・編集したものです。
近鉄が提案していた「幻のアイディア」とは?
大阪万博(本稿ではEXPO'70を指す)では、当初3000万人、その後、5000万人の観客があると想定されたため、会場内の観客の動きについても綿密に計画が立てられた。基本とされたポイントは「観客の移動がスムーズに行われ、局所的渋滞が発生しないこと」「観客が疲れずに楽しく会場の見物ができること」としている。結果的には予想以上の観客が入場したことで連日大渋滞となったが、今から考えるといたしかない状況だったと思われる。
ともあれ、こうした要求を満たすべく、大阪万博の会場では「環状の中速大量輸送機関」「軸状の低速大量輸送機関」「高所観覧用機関」「低速観覧機関」などが検討された。
実務に向けた調査は、近畿日本鉄道に委託されたが、中速大量輸送機関については万博会場の東北部と北西部の2か所に半径60mのカーブを設定しなければならず普通鉄道は困難とされ、ゴムタイヤ式の軽量軌道が提案されている。
ちなみに万博開催前から不定期で発行されていた『日本万国博覧会会報』には、近鉄が提案したほかのアイディアも紹介されている。