なお、JR東海の初代代表取締役となった須田寛の記した『東海道新幹線』によると、この列車設定は三島の車両基地から東京に向かう回送列車を営業列車に仕立てたもので、新幹線も車両運用がぎりぎりで、それを補うための苦肉の策でもあったという。

『鉄道と万博』『鉄道と万博』(交通新聞社)

 在来線を走る「エキスポこだま」の列車番号は「9118列車」だった。この番号からすると客車である。車種の資料は見当たらなかったが、多分これは万博輸送用に増備された新鋭12系客車が使われたと想像したい。

「アフタヌーン新幹線で夕涼み万博へ」をPR

 こうして夜間帰宅時の足を整備したこともあり、その後の国鉄は夜の万博観覧PRを進めた。6月25日からは関東地区のテレビで「アフタヌーン新幹線で夕涼み万博へ」というCMを流すようになった。画像構成もファンタジックなものだった。

 また、『国鉄監修 交通公社の時刻表』の6月号の表紙はカナダ館の夜景、巻頭グラフの写真も「夜が美しい万国博」としたものだった。さらに7月号も巻頭グラフは「夕涼み万国博」とされている。万博開催ラストスパートとなる8月号の表紙は夢の池の夜景、巻頭グラフは「夕涼み万国博」が続いた。日中は手放しでも観客があり、夜の入場を強化してさらなる増収を図る目論見だったと思われる。