同級生からの追悼文集から
崎田さんの人柄が浮かび上がる

《水俣町 緒方嘉彦
 彼はよく知られてゐる通り出水中學で名をなした健脚な男でした。或る時何かの都合で山野線に乗りおくれ水俣まで汽車の後を追うて本線にやうやく間に合って學校に行った事もありました。又これは村の人から聞いた話ですが夕方遅く右肩にカバンを左肩に稲を澤山かついだ彼の姿をよく見たさうです。かう聞いただけでもカバンと稲をかついだ彼の黒い姿が夕闇の中に見える様な気がします。

熊本師範学校 鶴山寅亀
 君と言へば、すぐ胸の太い武に猛き堂々たる姿が偲ばれ、事に当って忠実なるそれが、剣道に現れては体当り戦法實(じつ)に猛烈で掛聲(かけごえ)は場所を壓してゐました。又相撲に現れても体当り戦法常に選手として出場し、いつか五人抜に優勝した事も記憶してゐます。又マラソンの王者として新記録を出し、初志一貫のねばり強さ忍耐力それが又君を今日かくしたものでせう。水俣の遠い所から朝早く家を出、夜暗くなってから帰ると故人は話してゐました。がやはり又その不屈の精神も君を今日かくあらしめたものでせう。

陸軍航空士官学校在学 神村純孝
 瞑目すれば三年間同じ教室で學んだあの温和な顔が現實の様に浮んで参ります。想出は後を絶ちません。共に汽車通學で放課後よく将来を語り又遊び楽しんだものでした。彼の家は水俣の山奥で、通學するに學校は九時に始まるのに家は四時半頃出かけ、帰るのは九時か十時頃、冬等は家の人はもう寝て居られるなどと話して居りました。それでも一日も休んだことはありません。毎日々々この様な通學を続け朗かに頑張り續けてゐたのでした。四時に出て九時に帰る。一口に言へば大したことはありません。しかし宿題は山程。それを三年間續けることは並大抵のことではありません。

「神鷲 崎田少尉」より》

 19名の同級生の追憶からは、口数は多い方ではなく、温厚で、やるとなったら猛然と取り組み、校内のマラソン大会では敵うものはなく、剣道や相撲も強いが、体操や鉄棒はちょっと苦手、という崎田青年の横顔が浮かび上がってくる。