シンガポール国立大学(NUS)リー・クアンユー公共政策大学院の「アジア地政学プログラム」は、日本や東南アジアで活躍するビジネスリーダーや官僚などが多数参加する超人気講座。同講座を主宰する田村耕太郎氏の最新刊、君はなぜ学ばないのか?』(ダイヤモンド社)は、その人気講座のエッセンスと精神を凝縮した一冊。私たちは今、世界が大きく変わろうとする歴史的な大転換点に直面しています。激変の時代を生き抜くために不可欠な「学び」とは何か? 本連載では、この激変の時代を楽しく幸せにたくましく生き抜くためのマインドセットと、具体的な学びの内容について、同書から抜粋・編集してお届けします。

現代において何が戦争の最大の原因となるのか?Photo: Adobe Stock

世界共通の歴史教科書は存在しない

 現代は、戦争のコストが人類史上最も高くなった時代と言える。もし戦争が起こるとしたら、もっと人間のサガに根付いたような理由であり、全国民が納得して命と財産を賭けられるものである。

 それが「ナラティブ、つまり国の物語」である。

 これに気づいたのは、一橋ビジネススクール(一橋ICS)で客員教授となり「地政学・地経学(GPGE)」という講座を初めて受け持ったときのことである。

 地政学では、地理と国家の意思決定についての考察を行うが、その関係性を長期で見ていくので、歴史的視座が不可欠である。

 日本のビジネススクールで唯一世界トップ100位に入っている一橋ビジネススクールの講義は、すべて英語であり、世界中から英才が集まっている。学生の9割以上は日本人ではない。

 この事実は、あまり知られていない。私もそんなビジネススクールが日本にあるなんて、自分が講義を持つまで、恥ずかしながら知らなかった。

 そこで世界中から集まった多様な学生たちと、ディスカッションベースで授業をしたときに改めて痛感したのが、世界共通の歴史教科書は存在しないということだ。

歴史教育とは、ナラティブの注入作業

 歴史教育とは何か?

 それは、国民国家が国家としての一体感を持つためのナラティブの注入作業である。

 歴史の話に戻るが、世界中で帝国が滅んで国民国家が誕生したのは18世紀後半からである。なぜ、強そうに聞こえる「帝国」が滅んだのか?

 それは一体感がないからである。

 多様な民族を軍事力で隷属させるのが帝国主義だ。隷属させる多様な民族は、国民ではなく基本的には奴隷である。

 帝国が他の地域を侵略に行く場合、軍隊として活用するのは主に奴隷や傭兵である。当たり前だが、この人たちは、帝国国家に忠誠心を持っているわけではない。

 自らのために略奪の限りを尽くすが、戦局が悪化すれば我が身可愛さに逃げるのだ。

 一方、国民国家となった国では、自国のナラティブを注入しながら愛国心を養成する国民教育を幼少期から行い、国民から徴収した税金で、徴兵制のもと国民からなる軍隊を設置する。

 国民に税金を支払わせ、国民に兵役を課すには、強い愛国心と国家への忠誠心を植え付ける必要がある。そのために歴史教育があるのだ。

 自分の国の物語を教えられ、そこに酔い、それを守るためにお金も命も差し出す国民を育成するのだ。

 これにより国家が莫大な軍事費をまかない、死をも恐れぬ軍隊を持つ国民国家が、総力戦を仕掛けることが可能になった。

 そして戦争で亡くなったり、怪我をしたりした兵士やその家族を守るために、医療保険や年金などの社会保障制度が国民国家のもとで誕生した。

 公教育も社会保障も国家財政も、国民国家としての戦争のために誕生した仕組みなのだ。

 帝国の王のポケットマネーで養われた傭兵や奴隷では、国家の財政で支えられ続ける命知らずの国民国家軍に太刀打ちできるわけがない。

人は「国の物語」のためなら命も捧げる

 今でも多くの国家は、国の物語であるナラティブを教え続けている。国ごとに、公教育における歴史教育の内容は微妙に違う。

 だから、世界共通の歴史教科書があるという前提でクラスを運営したら、誰にとっても公平で真実性が高い歴史的事実というものは思ったほどなくて、広く世界に共有されておらず、議論を運営するのが難しかった。これは、私には大きな学びであった。

 人は、お金や食糧や資源のためではなく、自ら信じる「国の物語」のためなら命をも捧げる。

 異なるナラティブが激突したときに、多くは国境を接する場合だが、全面戦争へとエスカレートしかねない戦争が起こるのだ。

 このことを、この講義を受け持って初めて痛感した。ロシアとウクライナも、イスラエルとパレスチナも、中国と台湾もそうだろう。単純な資源の奪い合いとか、物流拠点の確保などでは、国民は命をかけて戦わない。

 製造コスト約27円の一万円札を、一万円の価値があると我々が信じ込んでいるのは、日本国や日本銀行や資本主義というナラティブを信じているからだ。

 ある意味、宗教と同じである。

(本稿は君はなぜ学ばないのか?の一部を抜粋・編集したものです)

田村耕太郎(たむら・こうたろう)
シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院 兼任教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル・リーダーシップ・インスティテュート フェロー、一橋ビジネススクール 客員教授(2022~2026年)。元参議院議員。早稲田大学卒業後、慶應義塾大学大学院(MBA)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院修了。オックスフォード大学AMPおよび東京大学EMP修了。山一證券にてM&A仲介業務に従事。米国留学を経て大阪日日新聞社社長。2002年に初当選し、2010年まで参議院議員。第一次安倍内閣で内閣府大臣政務官(経済・財政、金融、再チャレンジ、地方分権)を務めた。
2010年イェール大学フェロー、2011年ハーバード大学リサーチアソシエイト、世界で最も多くのノーベル賞受賞者(29名)を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で当時唯一の日本人研究員となる。2012年、日本人政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。ミルケン・インスティテュート 前アジアフェロー。
2014年より、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授としてビジネスパーソン向け「アジア地政学プログラム」を運営し、25期にわたり600名を超えるビジネスリーダーたちが修了。2022年よりカリフォルニア大学サンディエゴ校においても「アメリカ地政学プログラム」を主宰。
CNBCコメンテーター、世界最大のインド系インターナショナルスクールGIISのアドバイザリー・ボードメンバー。米国、シンガポール、イスラエル、アフリカのベンチャーキャピタルのリミテッド・パートナーを務める。OpenAI、Scale AI、SpaceX、Neuralink等、70社以上の世界のテクノロジースタートアップに投資する個人投資家でもある。シリーズ累計91万部突破のベストセラー『頭に来てもアホとは戦うな!』など著書多数。