「アジアにおける米ソの核戦力が独立して詳細に論ぜられることは、本来理論的に説明することの難しい同盟国をカバーする米国の核抑止力の信頼性を(日本)国民に納得させなければならないという、極めて困難な政治的課題に日米両政府が直面せざるを得ない状況を招くと懸念される」

 この訓令ははしなくも、米国の核の傘による拡大抑止が、日本という国に本当に「安心供与」をもたらすのかというジレンマを物語っている。

「米国の核抑止力の信頼性を国民に納得」させるのが「極めて困難な政治的課題」である最大の理由は、日本がその米国に二度にわたり核兵器を落とされた唯一の戦争被爆国だからだ。

 いま日本政府は、米中ロの狭間でその「極めて困難な政治的課題」に直面している。もう「核兵器のない世界」などと口にできないほど核の傘への依存を深めざるをえなくなっている現状を国民に率直に語るのか。

 それとも、核の傘から率先して外れる覚悟で首脳間交渉に持ち込んででも東アジアでの軍縮へ具体的に動くのか。

 戦後80年。日本政府がいずれにも舵を切れないまま、「唯一の戦争被爆国」としての記憶を風化に任せる一方で、米国との密室協議をもとに既成事実を積み重ねた末に「国民のご理解、ご協力が安全保障分野で非常に深まった」ように見えたとしても、それは国民から真の理解と協力を得ることを避け続ける戦後日本外交の自画像でしかない。