米国はこの変数による不安に囚われ、ソ連との軍拡競争に走ったというのが歴史の教訓だ。

 米国は今また、拡大抑止をめぐる変数に、台頭する中国に加えてロシアとの関係で揺れている。

 日本の位置する東アジアがこうした状況にある時、日本がなすべきは核の傘への依存を強めて軍拡競争を後押しすることではなく、核の傘への依存を弱めるべく、軍縮や外交による信頼醸成を進めることではないのか。

 ところが、2012年に復活した自民党政権が「日米同盟の抑止力」を掲げて陥ったのは前者だった。

 そのやり方も、米国とEDD(編集部注/日米拡大抑止協議)のような密室で話を進めつつ、自衛隊の役割を広げる安保法制関連法案について国論が割れる中で10本以上を一気に通すというもので、およそ国民が日米同盟に理解と信頼を深められる形ではなかった。

 また、東アジアで核の傘をリアルに示そうとこだわるあまり、米軍と自衛隊の活動を融合させる「日米同盟の抑止力」の頂点に米国の核を組み込んだことは、日本政府が唯一の戦争被爆国として核廃絶を唱える言葉を限りなく軽くした。

 密室の日米協議と拙速な立法によって、日本の「国柄」がかすんだことの責任は、一体誰が取るのか。

もはや国民に本当のことを
言えなくなってしまった

 核の傘とはそもそも何かを考える上で、冷戦期に日米両首脳がせめぎ合った重いエピソードを最後に紹介する。

 外務省による文書公開で2018年末に対象となった、首相中曽根康弘と大統領レーガンの往復書簡に記されていた。

 1986年、米ソが中距離核戦力(INF)の全廃条約締結に向け交渉していたさなか、レーガンは中曽根に「欧州ではゼロに、アジア(のソ連分)はまず少なくとも50%に」と打診した。

 中曽根は「日米同盟の根幹に影響が及ぶ」と反対し、結局アジアもゼロになった。

 欧州とアジアでの核軍縮に差をつけようとするレーガン政権に再考を求めるよう、外相の安倍晋太郎(晋三の父)が駐米大使松永信雄に発した「INF交渉訓令」には、こうある。