新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は大ヒット小説『ハリー・ポッター』の版画家に学ぶ言葉にできない「感覚」について『EXPERT』の本文から抜粋してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

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言葉にできない「感覚」

何をすべきか知っていることと、それを本当に「できる」こととのあいだには大きな隔たりがある。その緊張関係について、多くの熟達者が語っている。それは、騒然とした手術室にも、静かな木版画の世界にも同じように存在している。

アンドリュー・デイビッドソンは木版画家として四〇年活動している。木版画は何世紀も続く伝統で、職人技と芸術の統合である。アンドリューの家はイングランドのグロスターシャー、車のタイヤ跡の残る田舎のでこぼこ道の突き当たりにあった。私が訪ねたとき、彼は『ハリー・ポッター』の本の挿画の仕上げ作業をしていた。
私は彼がツゲ材の版木に彫刻刀を入れる様子を見守った。彼が使う道具の名前は何百年も前から変わっていない。細彫り刀、地彫り刀、彫金刀、磨きへらが、外科医の器具のように整然と並べられていた。道具が硬く滑らかな木に食い込む音が聞こえた。アンドリューはこの工程を「光で描く」と表現する。目で見なくても、刻みの深さが適切かどうかを、感触と音で感じ取ることができる。

作業は印刷の工程へと進む。彼は一九世紀に作られた巨大な鋳鉄製アルビオン印刷機〔圧力をかけて印刷する手動の活版印刷機〕に向かい、彫った面を上に向けて版木をセットした。次に、平らな石板の上にチューブから絞り出した黒インクを乗せ、小さなローラーを前後に転がして、まんべんなくインクを付けていく。ローラーに付くインクの厚みやなじみ具合が決め手になるが、アンドリューはそれを目ではなく耳で判断する。「ローラーを石板の上で転がすとき、エアーマットから空気が抜けるような音がしないとだめなんだ」と言う。「フライドポテトを揚げるときのような音がしたら、いい刷り上がりにならない

アンドリューはローラーで版木にインクを載せ、その上に紙を置いた。バランスよくプレスできるように設計されたハンドルを握り、最適な圧力を、最適な時間だけかけた。その後ハンドルを持ち上げ、紙をゆっくり剥がして刷り上がりを確認した。結果に満足できなかったらしく、首を横に振り、再び木版にインクを塗り、新しい紙を置いてプレスした。納得のいく一枚が刷り上がるまで、同じ工程が何度も繰り返された。
(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)