新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は、世界最高のレーシングドライバーの一人、フアン・マヌエル・ファンジオのエピソードを、『EXPERT』から抜粋・一部変更してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

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「運がよかった」では片付けられない

教育研究者のカール・ベライターとマレーネ・スカーダマリアが提唱した「ルーティン型専門能力」と「応用型専門能力」という概念がある。

ルーティン型専門能力とは、何かを行うための特定の方法を習得したら、それ以後、つねに同じ方法で安定的に行えるという能力のことだ。

一方、応用型専門能力は新しい方法を生み出す能力のことをいう。この能力を身につけている人は、新たな挑戦を好んで求め、新たな角度から考えなくてはならない不慣れな状況に身を置こうとする。

私は、だれもが両方の専門性を伸ばす能力を持っているし、ルーティン・モードと応用モードを切り替える能力も持っていると思う。そうすることで、人生を変えるほどの結果を手にすることもある。世界最高のレーシングドライバーの一人、フアン・マヌエル・ファンジオはそれによって死を免れた。

一九五〇年、ファンジオはモナコ・グランプリに出場した。レース序盤、先頭を行くファンジオの後ろで多重衝突事故が発生した。そのとき彼は、後続を一周引き離して最高速度で走っていた。衝突現場は次のカーブの先にあったが、いま彼が走っている場所からは見えない。さらなる致命的衝突が避けられないと思われた瞬間、ファンジオの車は突如減速し、残骸の直前で停止したのである。

レース終了後、とっさに対応できた理由をたずねられた彼は、レース前に昔の事故の写真を見ていたからだと説明した。衝突現場直前の小さなカーブにさしかかったとき、彼は観客の様子がいつもと違うと感じた─色が違う。先頭を走る自分のほうではなく、カーブの先にある何かに意識を向けている! ファンジオは写真で見た事故の光景を思い出し、急ブレーキをかけて衝突直前で停止したのだった。

すべてが一瞬の出来事だったに違いない。ほとんどのドライバーがカーブを回り切ることだけにすべての注意力を使うはずの瞬間に、ファンジオはいつもと違う何かに気づき、その情報を処理し、意味を理解し、それに対処するための時間を確保したのだ。彼は「運が良かった」と言ったが、私に言わせれば、それは運ではなく応用型専門能力である。

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)