人生は経験の合計だ。最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさが、どれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる――。話題を集めるベストセラー書籍『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』は、「経験を積み重ねること」こそが人生を豊かにすると説く。
大学時代、競馬で稼いだ資金をもとに踏み切った“無謀な挑戦”。当時は「無意味に終わるかもしれない」と疑ったこともあった。しかしその経験は、20年の時を経て、思いもよらない「配当」となって返ってきた――(執筆:前田浩弥、企画:ダイヤモンド社書籍編集局)

競馬で稼いだ68万円が20年後の人生を変えた話Photo: Adobe Stock

単勝9番人気への渾身の勝負

前田浩弥(まえだ・ひろや)
フリーライター・編集者
1983年生まれ。大学卒業後、編集プロダクション勤務、出版社勤務を経て、2016年に独立。ビジネス分野とスポーツ分野を中心に、書籍や雑誌の企画・執筆・編集に携わる。主な編集協力書籍に『リーダーは偉くない。』『今日もガッチリ資産防衛 1円でも多く「会社と社長個人」にお金を残す方法』(以上、ダイヤモンド社)『凡人でも「稼ぐ力」を最大化できる 努力の数値化』(KADOKAWA)などがある。

私は今、ライターとして某競馬月刊誌の連載インタビューコーナーを担当している。月に1回、騎手や調教師にインタビューを行い、記事にする仕事だ。

ともに担当するカメラマンとは、20年来の付き合いになる。……いや、「23年前に出会い、それから長らく疎遠になっていたのだが、2年前に再会した」と言ったほうが正確か。

23年前。大学生だった私は、毎週読んでいた競馬雑誌に連載されている、ある放送作家のコラムに心酔していた。

ある週のコラムで、その放送作家は、「私が講師となって、競馬ライターを養成する学校を開く」と書いていた。「優秀な生徒は、放送作家の弟子としてウチの事務所で雇う」とも書いていた。

行くしかない。そう思った。大学では落語研究会に所属し、漫才やコントの台本を書いていて、評判もよかった。のし上がる自信があった。

学校は大阪で開くという。しかし私は東京に住んでいた。講座は毎週月曜日で、1年間続く。十数万円の受講料はアルバイトで稼げばなんとかなるとして、問題は交通費だ。6000円の高速バスで大阪へ向かい、18時30分~20時30分の授業を受け、5000円の夜行バスで帰ってくるとしても、1往復で1万1000円かかる。1年通うとなると60万円弱だ。アルバイトでは到底足りない。

競馬で稼ぐしかなかった。乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負。渾身の本命、9番人気のタイヨーキャプテンという馬が逃げ切り、なけなしの2万円が68万円になった。大阪通いが決まった。

内容の薄い講座がもたらした「意味」

意気揚々と大阪に乗り込み、受講してみれば、「競馬ライターを養成する学校」であるはずのその場は、単なるカルチャーセンターの1コマに過ぎなかった。

「講師」であるはずのお目当ての放送作家は、授業の初めと終わりに顔を出すだけで、実質的な講師は、その放送作家の友人である業界関係者たちが日替わりで務めた。私は拍子抜けし、「イメージと違う……」とガッカリした。しかし周りの受講生たちはそんなことなど意に介さず、競馬仲間が増えたことがただただ嬉しい様子だ。

危機感を覚えた私は、放送作家に直接、漫才やコントの台本を売り込み、なんとか弟子にしてもらおうと試みたが、空振りに終わった。

私は周りの受講生と慣れ合う気になれず、講座の休憩時間は教室から離れたベンチにポツンと座っていた。

ある日、その隣にポツンと座りにきたのが、冒頭で紹介した、のちにカメラマンとなる男である。彼もまた、自身の意識と周りの雰囲気との間に温度差を感じていた。アルバイトで食いつなぐ人生を変えようと、この講座に賭けていたようだ。

「この講座、意味あるんすかねぇ……」

私たちは異口同音にこぼした。

人生は経験の合計だ

結果からいえば、意味はあった。

私は大学卒業後、編集プロダクション勤務、出版社勤務を経て、2016年にライターとして独立した。大阪通いから14年後のことだ。

独立直後の挨拶回りをする中で、競馬マスコミに伝のある方を紹介していただき、大学生の頃に大阪に通っていた話をした。「ああ、あれね」と話は通じ、「前田さん、東京から通ってたんだ」と興味を持ってくれた。

フットワークの軽さと思い切りのよさ、そして競馬で交通費を稼いで大阪通いを実現させた勝負強さを買ってくれ、競馬関係の仕事をいただけるようになった。

『DIE WITH ZERO』には、こんな一節がある。

人生は経験の合計だ。あなたが誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる。最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさが、どれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる。
――『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(p.44)

あのとき「無意味に終わるかもしれない」と疑った大阪通いの経験は、今の私に仕事をもたらしてくれただけではない。口下手な私にとって、「自分はどのような人間なのか」を示すこれ以上ないエピソードを得られた。そのうえ、そこにチャレンジしたこと自体が今となっては良い経験であり、思い出となっている。

そして、いただいた仕事のひとつである某競馬月刊誌の連載インタビューを続けるなかで、担当カメラマンが交代することになり、23年前にベンチで語り合った彼と再会することになる。

『DIE WITH ZERO』の著者、ビル・パーキンスは「人生で一番大切なのは、思い出をつくることだ」と語る。

確かに、その人を「その人」たらしめるものは、お金でも肩書きでもなく、経験によって得た思い出なのかもしれない。

カメラマンの運転で取材先に向かう途中、打ち合わせ的なやりとりが落ち着いたタイミングで、ふと、投げかけてみた。「あの講座、意味ありましたねぇ」と。

彼もその会話を覚えていた。

(本原稿は、『DIE WITH ZERO』(ビル・パーキンス著・児島修訳)に関連した書き下ろし記事です)