「もしかしてこれでおばあちゃんを……」

「あら、弓子やん。どないしたん。何年ぶりよ。びっくりしたわ。帰ってくるんやったら連絡しいや」

 いつまでも若々しいと思っていた母親の姿はすっかり変わり果て、佇んでいるのは草臥れた老婆であった。若い頃はすらっと細身でスタイル抜群だったその身体は、年老いて脂が抜けきり、貧相な鶏ガラのようになっている。髪の毛はすっかり薄くなり、白髪こそきちんと染めているものの地肌が目立ってしまっていた。

 この老婆が本当に、あの「ハナちゃん」なのだろうか。

 わたしの母親の花子は、子を産み母になってもいつまでもあどけなく可憐で、みんなのアイドルだった。引く手あまたに男たちを虜にし、家族を顧みず不倫を繰り返す、まごうことなきファムファタールだった。一人称を「ハナちゃん」と名乗り、いつでも天真爛漫な笑顔で魔性の色香を振り撒き、男たちの心をわし掴んできた。そんな、みんなのアイドル「ハナちゃん」と、この今、目の前に立っている老婆が、果たして本当に同一人物なのだろうか。でも、確かにもうこの人も還暦が近い。これが年相応といえば、年相応の出立ちなのだろう。

「いきなりやからなんにもないよ。まあ、お茶でも淹れるわ」

 半分が物置になってしまっている小さな食卓に座る。ふとテーブルの上のティッシュの箱に目をやると、ぼろぼろに角が潰れていた。まるで犬や猫の仕業かのようだが、我が家に動物はいない。

「なあ、このティッシュなんでこんな潰れてるん?」

 母親の顔色が急に灰色に曇った。

「……しゃあないねん。これがいちばん大きい音が鳴るんや。でも軽いし紙やからあんま痛くないやろ。ハナちゃんかってこれでもちゃんと考えてるんやから。責めんといて」

「え? 何の話? ゆってる意味がようわからへんねんけど」

「鞠子に言われるんや」

「鞠子に何を言われるん?」

 脳裏に最悪の絵が浮かんだ。まさか。母親がまさかそんなことをするわけがない。そう信じたかった。子どもたちにすら、手をあげたことのない母親だった。

「鞠子には逆らわれへんのや。逆らったらこっちかて何されるかわからへん。しゃあないねん。おばあちゃんが鞠子を怒らせることばっかりするから」

「ちょっと待って、もしかしてこれでおばあちゃんを……」

「ゆわんといて。ハナちゃんだってつらいねんから」

 わたしは椅子から飛び降り、居間を出て廊下を駆けた。

「あかん! 勝手に開けたらあかんことになってるねん!」