【史上最強の改革者】情を捨て、法を選んだ…商鞅が創った“個人で動く国家”の衝撃
悩んだら歴史に相談せよ!】好評を博した『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者で、歴史に精通した経営コンサルタントが、今度は舞台を世界へと広げた。新刊リーダーは世界史に学べ(ダイヤモンド社)では、チャーチル、ナポレオン、ガンディー、孔明、ダ・ヴィンチなど、世界史に名を刻む35人の言葉を手がかりに、現代のビジネスリーダーが身につけるべき「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く方法を解説。監修は、世界史研究の第一人者である東京大学・羽田 正名誉教授。最新の「グローバル・ヒストリー」の視点を踏まえ、従来の枠にとらわれないリーダー像を提示する。どのエピソードも数分で読める構成ながら、「正論が通じない相手への対応法」「部下の才能を見抜き、育てる術」「孤立したときに持つべき覚悟」など、現場で直面する課題に直結する解決策が満載。まるで歴史上の偉人たちが直接語りかけてくるかのような実用性と説得力にあふれた“リーダーのための知恵の宝庫だ。

【リーダー必読】「そりゃ天下取るわけだ」…2200年前に“成果主義”を完成させた商鞅の国家システムPhoto: Adobe Stock

秦の統一を可能にした「法家の改革」――血縁を断ち、国家をつくる

始皇帝(紀元前259~210年)は、中国(秦)の初代皇帝。秦の王族として生まれたが、幼少期には敵国の人質となるなどの苦難も経験。秦王に即位した後、敵国から命を狙われながらも、次々と周辺の国を滅ぼし紀元前221年には中国を統一して「皇帝」と称する。統一後は、皇帝が任命した官僚が各地方を統治する郡県制を導入するとともに、貨幣や計量単位の統一を進めるなど、当時としては驚異的なスピードで中央集権化を実現。こうした急速な中央集権化は地方の伝統的な秩序を破壊し、巨大な宮殿や始皇帝陵の建造のための民衆の負担はきわめて大きなものとなった。その結果、始皇帝の死後、各地で秦に対する反乱が相次ぎ、わずか4年後には秦王朝は滅亡。秦の統一以降、中国では皇帝を中心とした中央集権国家の体制が確立され、1912年に清朝が滅亡するまで約2100年にわたり続いていく

法家・商鞅、国家改造のメス

秦は他国に先んじて、氏族制を打破する改革に乗り出しました。その中心人物こそ、法家思想を学んだ商鞅。彼は徹底的に「血縁」よりも「法」と「実力」を重視する制度を導入し、国家の骨格を再編しました。

「法」と「実力」が貫く大改革

次が、その主な4つの柱です。

一族から「個人」へ、支配の再構築

①分異の令―― 一族解体による個人化
長男以外の成人男性は分家し、本家とは別に暮らす。血縁による共同生活・主従関係を解体し、一族という単位から個人という単位に転換することを意味します。個人を血縁から切り離し、国家が直接支配できる単位へと再構築したのです。

社会の隅々に張り巡らされた「目」

②什伍の制―― 相互監視による秩序の強化
10家族または5家族を1組とし、互いを監視させる(違反者が出た場合は連帯責任)。
個人単位への転換と同時に、反乱や不正を事前に防ぐためのシステムを構築。「隣人の行動に無関心ではいられない」という仕組みが、強固な統治の基盤となりました。

万人に開かれた出世の道

③軍功爵制―― 身分を超えて出世できる制度
血筋ではなく、戦場での功績によって地位が与えられる。この制度により、誰でも努力と成果次第で高位に上がれる仕組みができました。秦の軍隊が他国より強かった理由の一つは、貴族や王族も例外なく競争にさらされたことにあります。組織が一気に実力主義化し、軍と国家に活力がもたらされたのです。

「王」の手足を全国へ

④県制―― 中央集権の徹底
地方の支配者を廃し、一代限りの官僚を中央から派遣する。これにより、税収や軍事力はすべて中央政府に直結する体制が構築されました。「中央が国家の隅々まで統治する」という概念は、ここで初めて本格的に実現したのです。

システムの勝利、富国強兵の確立
天下統一への揺るぎなき礎

このようにして、秦は氏族制を破壊し、個人化・法治・実力主義・中央集権化という構造を一気に整えました。

その結果として、能力のある人物が登用され、軍事は合理化され、財政は一元管理されるようになり、他の6国を凌駕する経済力と軍事力(富国強兵)を確立したのです。

そしてこの体制こそが、やがて中国統一へとつながる盤石な国家基盤となっていきます。