僕もよくブサヨとか書かれるけれど……

 今月も締切が近づいた。でもまだ原稿には手がつけられてない。困った。テーマくらいは決めなくては。そう思っていたら、担当の笠井一暁から以下のメールが来た。

 5月号のテーマについて、「憲法」はいかがでしょうか。安倍首相は、96条の改正を叫んでいますが、「国民は憲法についての意思表示をする機会を奪われていた」というような彼の主張には、個人的にはまったく納得できるものはなく、ただの詭弁としか思えません。

 「改憲を掲げた自民党が圧勝したことが民意の反映」ということなのかもしれませんが、だからといって、憲法改正手続きのハードルを下げることが、国民が意思表示をする機会を担保することになるのかといえば、やはり違和感が拭えません。それに、(国会議員や裁判官その他の公務員たちは憲法を尊重して擁護する義務を負ふと定められた)99条のことを考えれば、総理大臣自らが「憲法を変えやすくしよう」と叫ぶのは、どうしても納得ができないのです。

 ご存知と思いますが、安倍首相は講演会で「キラキラネームをつける親を指導しなければいけない時代になった」と発言してしまうような人で、どうしても国家権力と国民の関係を勘違いしているのではないかと考えてしまいます。しかし、そんな安倍首相と自民党が支持されているわけで、その現状を考えると本当に哀しくなります。でも、それでも日本人の復元力を信じたいという気持ちを捨て切れません。

 うーむ。相変わらず笠井はラジカルだ。僕もよくネットなどでブサヨとか書かれるけれど、笠井は明らかにそれ以上だ。時おり自分が彼に操られているような気分になる。つまり笠井はプロデューサーだ。僕は水。自由に流れているようだけど、実は(ある程度の)水路がある。その水路を作るのは編集者だ。

 これはメディアの本質でもある。事件などがあると新聞やテレビはよく識者の意見としてコメントを紹介するが、まったく無作為に識者を選んでいるわけではもちろんない。この人ならこのようなことを言うだろうと記者やディレクターは予測している。そのうえで連絡して、話の流れを誘導しながら自分が欲しかったコメントだけを採用する。あるいは両論併記として配置する。つまりこの場合の識者は、記者やディレクターの代弁者でもある。ならば自分で言えよと思うけれど、誰かを使うことでメディアの中立公正性が担保されているということらしい。