あるカフェのオーナーシェフは、店を息子に継がせないと決めていた――。一見すると“もったいない”とも思える決断だが、そこには「子どもに何を残し、何を残さないか」という深い哲学があった。
話題を集めるベストセラー書籍『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』は、「絶対に後悔しない生き方」「人生で本当に大切なこと」を教えてくれる一冊だ。本書が示すのは、ただお金を増やすのではなく、“経験”を最大化するという生き方。そしてそれは、子どもの人生に対してもまったく同じなのである――。(執筆:前田浩弥、企画:ダイヤモンド社書籍編集局)

「この店は一代で終わらせます」繁盛店のオーナーが息子に店を継がせない感動の理由Photo: Adobe Stock

常連の多い、学生街の小さなカフェレストラン

前田浩弥(まえだ・ひろや)
フリーライター・編集者
1983年生まれ。大学卒業後、編集プロダクション勤務、出版社勤務を経て、2016年に独立。ビジネス分野とスポーツ分野を中心に、書籍や雑誌の企画・執筆・編集に携わる。主な編集協力書籍に『リーダーは偉くない。』『今日もガッチリ資産防衛 1円でも多く「会社と社長個人」にお金を残す方法』(以上、ダイヤモンド社)『凡人でも「稼ぐ力」を最大化できる 努力の数値化』(KADOKAWA)などがある。

かつて住んでいた街に、小さなカフェレストランがあった。学生街の中にありながら、落ち着いた雰囲気の店だった。

その店に出会ったのは、私がその街に引っ越してきて2カ月ほど経った頃のことだった。当時、私は出版社に勤めていた。毎週末、近所を散歩しながら「休日に落ち着いて原稿を読めるようなカフェはないかな」と探していて、何軒かハズレを引いた後、その店にたどり着いたのだった。

内装はシンプルだが、寂しさはなく、木を基調とした店内は温かみにあふれていた。テーブルの配置は、一見無造作なようで、しかし整然としていた。どの席に着いても、座りやすいし、居心地がいい。「座りやすい高さになるまで、テーブルや椅子をつくる会社さんと何度もやりとりをしたんですよ」と、仲良くなってから、オーナーシェフが教えてくれた。センスのいいお皿の数々もすべて、彼が道具街で「食べやすく、かつウチの店に合うお皿はないか」と探して揃えた、こだわりのものだという。それでいて、そのこだわりが押しつけがましくない。だから、ファンも多かった。

オーナーシェフに息子が生まれると、彼は店の定休日以外にも休みをとるようになった。しかし働き者の彼は、自身が休みの日も、息子を抱っこしながら店の様子を見にきていた。「連れてくると喜ぶんです。このお店とお客さんが好きみたいなんですよ」と彼は言う。

「息子には継がせません」

ある日もまた、彼は息子を抱っこしながら店に現れた。彼は店のスタッフに一声掛けた後、常連のお姉さま方に挨拶をし、そのまま世間話に花を咲かせていた。私は傍らの席で、その話を聞くとはなしに聞いていた。

自然な会話の流れから、お姉さま方のひとりが「このお店は、息子くんに継がせるの?」と聞いたときだ。オーナーシェフはやけに強い口調で、きっぱりと言った。

「いや、息子には継がせません。この店は一代で終わらせます」

お姉さま方はその口調の変化に気づいたか気づかなかったか、みなそれぞれに、

「えー、なんでー? もったいない」
「継がせてあげたらいいのにー」
「息子くん、こんなにこのお店が好きなのに……ねぇ? 息子くんも継ぎたいよねぇ?」

と、思い思いの言葉を口にした。オーナーシェフはいつもの穏やかな口調に戻り、答えた。

「料理人って、修業しながら『自分は将来、こういうお店を持ちたいな』と夢を思い描いて、一念発起して独立して、自分のお店で自分の世界観を思う存分表現して、自分の料理とお店の空間を気に入ってくれる方ができて……その過程がいちばん楽しいんです。もしも息子が料理人になるのなら、その楽しみを目一杯味わってほしい。息子が継ぎたいと言っても、ぼくは断ります。ここはぼくの店です」

一同、ぐうの音も出なかった。

『DIE WITH ZERO』には、こんな一節がある。

人生の最大の目標は、収入や資産を増やすことではない。大切なのは、経験とそれがもたらす永続的な思い出によって、人生を充実させることだ。

当然、あなたの人生と同じように、子どもの人生についても同じことが言える。
――『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(p.129)

当たり前のことだが、オーナーシェフは無責任な常連客よりも、息子のことを真剣に考えていた。生まれて数年も経たないうちに、息子に「何を残し、何を残さないか」を明確に思い描いていた。店を継がせることが、息子の人生の充実にも、自分の人生の充実にもつながらないことを悟っていたのだ。

(本原稿は、『DIE WITH ZERO』(ビル・パーキンス著・児島修訳)に関連した書き下ろし記事です)