フジサンケイグループの
創始者である鹿内信隆
黒柳徹子の母で「チョッちゃん」の愛称で親しまれた随筆家の黒柳朝 Photo:SANKEI
北海道の中西部、石狩平野の中央に位置する岩見沢市。石炭の集積地であり、陸上交通の要衝として発展した。北海道道立の岩見沢東高校は2025年4月に北海道岩見沢西高校と統合し、新たなスタートを切った。
岩見沢東高校は、1922年に設立された北海道庁立岩見沢中学校を前身とする。岩見沢中学は戦後の学制改革で新制の北海道立岩見沢高校となり、1950年には岩見沢市立女子高校と統合し男女共学を実施、校名も現在の「岩見沢東高校」となった。略称は「岩東(がんとう)」だ。
「岩東」は、戦前の旧制時代から多くの俊英を世に送り出してきた。フジテレビ、ニッポン放送、産業経済新聞社、文化放送などのフジサンケイグループの創始者だった鹿内(しかない)信隆が、旧制岩見沢中学の出身だ。早稲田第一高等学院を経て早稲田大政経学部卒だ。
鹿内は1948年に日本経営者団体連盟(日経連)を設立し、初代専務理事になった。高揚する労働運動に激しく対峙(たいじ)し、財界の指導者のひとりになった。財界から送り込まれる形で1967年に、フジサンケイグループ会議初代議長に就いた。
娘婿の鹿内宏明(東京教育大附属高校・現筑波大附属高校―東京大卒)はその3代目議長を務めたが、世襲を嫌った日枝久(都立杉並高校―早大卒)主導のクーデターにより1992年にグループから放逐された。日枝はその後、フジテレビ社長、会長、取締役相談役として長年にわたりフジサンケイグループに君臨した。25年春、「フジテレビ問題(中居問題)」により、グループからの退任を余儀なくされた。
「因果は巡る」という話だが、「揺れるフジサンケイグループ」の淵源(えんげん)は、創業者たる鹿内信隆の存在にあったといえよう。







