ロサンゼルス行きの機内で出会ったギャルに誘われ、名前も知らない彼女と私は、勢いのままカリブ海に向かった――。いま思えば無茶の連続だったけれど、そうした経験が、後になって「人生で一番価値のある経験」になることがある。『DIE WITH ZERO』を読みながら、私は自分の20代を重ねずにはいられなかった。(執筆:坂本実紀、企画:ダイヤモンド社書籍編集局)

飛行機で「隣の席になったギャル」とカリブ海に行った話Photo: Adobe Stock

「カリブ海に一緒に行かない?」

坂本実紀(さかもと・みき)
WEB&ブックライター
高知県出身の3児の母。出版社勤務を経てフリーライターへ転身し、現在は新潟市を拠点に地域情報メディアのライティングやブックライティングに携わる。恋愛コラムニストとしても活動し、これまでに受けた恋愛相談は1万人を超える。

大学生の頃、私にはお金がなかった。それでも、いつもバイトで10~15万円貯まるたびに、海外行きのチケットを取っていた。

日本とは違うにおい、言語、文化に触れるのは新鮮だった。当時強かった日本円のおかげで、お金はなくとも豪遊気分も味わえた。国によっては靴や服もたくさん買えたし、マッサージに毎日行くこともできた。そんな非日常を楽しむことに大きな価値があったと今でも思う。

学生時代、10回以上海外を旅して私が学んだのは、「失敗はネタになる」「死ななければ何とかなる」という教訓だ。

人生で守るものも、失う名誉もない時期は、意外と短い。その無敵とも言える時期には冒険してなんぼだと思っていた。

だから、ロサンゼルス行きの飛行機で出会った、当時は本名も知らなかったギャルのネイリストから「カリブ海のアンティグア・バーブーダに一緒に行かない?」と誘われたときも、「行きます」と即答した。

女子大生、レズビアンに押し倒される

彼女には「島の女王専属のネイリストになる」という夢があった。その夢の話をロスに着くまでの約10時間で聞いていた私は、夢を叶える旅に同行したいと思い、勢いのままカリブ海に旅立った。

案の定というか、旅はトラブル続きだった。島に着く前に、プエルトリコの空港で乗り継ぎに失敗し、一泊した。飛行機には、翻訳辞書を置き忘れてそのままなくした。

アンティグア・バーブーダは、英語が通じるけど、すごくなまっていて、理解するのに時間がかかる。「パードゥン?」と何回言っただろう。コミュニケーションをとるのも大変だった。

ただ、ギャルは歩くとすぐにナンパされるので、タクシーを呼ばなくても島の移動には苦労しなかった。しばらく滞在するうちに、島のナンバー2を名乗るロビーという男が車を手配してくれるようにもなった。

なぜか毎回、同行する男性が変わった。実はロビーが私のためにあてがってくれていたらしい。当時は彼氏もいたので笑ってスルーしていたが、どのタイプの男性にも反応しない私を見て、最終的にレズビアンのお姉さんたちのエリアにエスコートされ、部屋で押し倒されたときはハイネケンを片手にさすがに号泣した。

ギャルに助けられて事なきを得たが、異国でマジ泣きしたあの経験も、振り返れば笑える。

「今しかできない経験」を意識する

『DIE WITH ZERO』には、20代前半で休職し、高利貸しから1万ドルの借金をして、ヨーロッパへのバックパック旅行に行った著者の友人のエピソードが出てくる。

著者もそれに影響され、30歳の頃にヨーロッパに旅に出たそうだが、そのタイミングでは「遅すぎた」と書いている。

残念だが、この旅はもっと若いときにすべきだった――。

そう後悔をつづり、「ジェイソン(友人)は金では買えない、かけがえのない経験を得たのだ」と話している。

すっかり大人になった私は、もうあの頃のように無茶はできない。そう考えると、大学生の頃に行った無謀な旅の数々は、改めてかけがえのない経験だったんだなと思う。

こうした経験は、「今しかできないこと」を意識することで得られるものなのかもしれない。『DIE WITH ZERO』にはこんな一文もある。

人は老化には逆らえない。いつかは誰もが死ぬ。だからこそ、限られた時間のなかで、最大限に命を燃やす方法を考えなければならない。

まもなく私は40代を迎える。10年後、20年後に、「あの頃にしておけばよかった」ではなく「あの頃にしておいてよかった」と思える経験を増やしていきたい。

(本原稿は、『DIE WITH ZERO』(ビル・パーキンス著・児島修訳)に関連した書き下ろし記事です)