何でも論破してくる人が「薄給でもやりたい仕事よりも、給料がよくてやりたくない仕事の方がいいですよね?」と言ってきたら、思い出したい名言とは?
そんなあなたにすすめたいのが、全世界45言語に翻訳され、世界500万部を突破しているベストセラー『やりたいことが見つかる 世界の果てのカフェ』(ジョン・ストレルキー 著/鹿田昌美 訳)だ。「何度読んでもハッとする」と話題の一冊から、おすすめの名言について紹介する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)
※イメージモデル:ひろゆき氏(撮影/榊智朗)
やりたいことは後回し?
「やりたい仕事より、給料がいい仕事のほうが正解ですよね?」
そう言う人に出会うと、反論が難しいことがあります。
なぜなら、給料が高いことは確かに「合理的な選択」に見えるからです。
しかし、給料が高いからといって、それが人生の満足につながるとは限りません。
「お金を得るために、やりたくない仕事を続ける人生」か。
「多少薄給でも、やりたい仕事を毎日やれる人生」か。
あなたはどちらを「悲劇」と呼ぶでしょうか?
「本当の悲劇」とは何か?
『世界の果てのカフェ』という物語では、この問いに対する鋭い視点が語られます。
ある人が、存在理由を満たすと認識していることを毎日行う人生を送る。
でも、お金は多く稼げない。まあ、それは悲劇でしょうね。
その人は、存在理由を常に満たす人生を送っているのだと気づく。
『自分がここにいる理由』がわかったから、自分がやりたいことを一生やっていく。
でも……65歳になっても、十分な老後資金がないかもしれない。
やりたいことをやり続けるしかないわね。それって本当に悲劇よねえ。
――『世界の果てのカフェ』(第20章)より
この皮肉なやり取りが指し示すのは、「本当に悲劇なのは、やりたいことをやらない人生では?」ということです。
薄給であっても、今日という一日に「生きている実感」があるなら、その人生は悲劇ではなく「充実」かもしれません。
給料の多さよりも「心の貯金」を
高給でやりたくない仕事を続けた結果、「心が枯れてしまう」ことも少なくありません。
すると、人はモノを買ったり、飲みに行ったり、何かで「空白」を埋めようとします。
しかし、心の空白はお金では埋まりません。
やりたくない仕事を長く続けるほど、人生は「我慢」と「埋め合わせ」で満たされてしまいます。
一方で、「やりたい仕事」に触れている人は、情熱・経験・人脈・技術など、目に見えない資産を蓄えていく。
これは、どんな通帳にも記録されませんが、人生を支える「本物の貯金」になるのです。
給料は「目的」ではなく「手段」
やりたくない仕事で高給を得る人生。
それは合理的に見えて、「自分の人生を生きていない」という最大のリスクを抱えています。
反対に、薄給でもやりたい仕事をしている人は、毎日が自分の足で立っている実感に満ちています。
お金のために働くのではなく、自分の時間を生きるために働く。
その逆転こそが、本当の人生の始まりです。
(本稿は、『世界の果てのカフェ』の発売を記念したオリジナル記事です)




