会議で「この人、考えが浅い」と見なされる原因は、話のうまさではなく“結論ありき”の伝え方にある。定義の曖昧な言葉で「削るなんてあり得ない」と押し切ると、反論の入口が閉じて議論は停止し、周囲からは思考放棄に映るうえ、本人も考えなくなって本当に浅くなっていく。コスト削減とサステナ施策がぶつかる場面を例に、「それは削れない」と言い切るのではなく、理由や起こり得る影響、他のやり方(代替案)も添えて伝える。そうすると相手も反論や提案がしやすくなり、議論が前に進んで、納得感のある結論やよりよい解決策に近づける。その極意を書籍『1メッセージ 究極にシンプルな伝え方』から一部抜粋して紹介する。
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“この人、考えが浅いな”と相手に思われてしまう伝え方とは
人は伝え方次第で、相手が受ける印象は変わる。
よい印象を与えるときもあれば、悪い印象を与えるときもある。そして、この人は“考えが浅いな”と相手に思われてしまう伝え方もある。
「結論ありき」の人は“考えが浅い”と思われる
“考えが浅い”と思われてしまう伝え方の一つは、「結論ありき」だ。議論をしていて、自分の答えを無理やりに押し通す伝え方だ。
たとえば、業績が厳しくてコスト削減が必要なときに、誰かが会議で「サステナビリティの取り組みのコストを減らせないか?」と問題提起したとする。そんなときに、サステナビリティ部門の担当者が「結論ありき」で話す人であれば、次のように言ったりする。
「サステナビリティは社会的な正義ですから削るなんてあり得ません」
「結論ありき」の意見では、この「社会的な正義」のように定義が曖昧な言葉がよく使われる。定義が曖昧な言葉を根拠にして意見をされると、まわりの人はよくわからないので反論しようがない。
こういう反論しようがない意見を「否定に開かれていない意見」と言う。否定に開かれていない意見はまわりとの議論をシャットアウトする。このため、否定に開かれていない意見を言ってばかりだと、そもそもそれ以上は考えようとしていないようで、議論するのが無駄な“考えが浅い”人のように思われてしまうのだ。
そして、思われてしまうだけならまだよいが、なにより怖いのは、「結論ありき」で「否定に開かれていない意見」を言っていると本人もそれ以上はなにも考える必要がなくなるので、実際に“考えが浅い”人になっていくことだ。
「否定に開かれた意見」を言おう
“考えが浅い”と思われたくなければ、まわりが反論できる「否定に開かれた意見」を言おう。たとえば、先ほどの例であれば、次のように言うと少しは「否定に開かれた意見」になる。
「サステナビリティの取り組みのコストを減らすと、ブランドイメージが低下して顧客の離反があるかもしれないので、コストをこれ以上は削らない方がよいと思います」
これに対しては、いくつかの反論が可能だからだ。
「少しのコスト削減で、ブランドイメージの低下や顧客の離反は本当に起こるのか?」
「外部委託しているイベントで相見積もりを取ってもっと安い先を見つけられれば、取り組み内容自体は変えずにコスト削減できるので、懸念しているブランドイメージの低下や顧客の離反の問題は生じないのでは?」
これらの反論が正しいとは限らないが、少なくともそれらの反論を受けてもう少し建設的な議論ができる。こうして、相手の反論を受け止めて、それについて冷静に考える人は“考えが浅い”と思われないだろう。
そしてなにより、実際にそのようにしてしっかりと考えることを通じて、より良いコスト削減の答えが見つかり、より良い結果を生み出せるかもしれない。
「結論ありき」で伝えてしまう“自分の弱さ”を乗り越えよう
「結論ありき」で伝えてしまうのは、自分の弱さの証だ。まわりに反論されたくないから、結論ありきで伝える。あまり考えたくないから、結論ありきで伝える。
しかし、結論ありきで伝えても、自分の弱さを少し守れるだけで、実際にはなにも得することはない。まわりから“考えが浅い”と思われるし、実際に考えなくなっていって名実ともに“考えが浅い人”になっていくだけだ。
勇気を出して、結論ありきを乗り越えて「否定に開かれた意見」を伝えてみよう。そこには、まわりとの建設的な議論と、より良い問題解決の答えが待っているはずだ。
(本原稿は『1メッセージ 究極にシンプルな伝え方』を一部抜粋・加筆したものです)









