相席ブロックのようなハック行為もそうだ。「他人が決めた制度に疑いなく盲目的に従うのは、情弱の愚か者。制度のバグにいち早く気づいて他人を出し抜くのが、賢い人間の賢い行動である」というのが、2010年代後半以降の(主にビジネスインフルエンサー界隈での)メインストリームではなかったか。「知らなくて損した」のは、知ろうとしなかった怠惰なあなたのせい。怠惰は顧客に不利益をもたらす諸悪の根源。これこそが、あちら界隈でのマナーや倫理めいた常識であろう。
そのマナーや倫理に照らし合わせるなら、相席ブロックで責められるのはユーザー側ではない。システムの穴をいち早く塞がなかったバス会社のほう、ということになる。キャンセルする気が失せるほど高額のキャンセル料を設定しなかった。あるいは、個人情報を入力させるなどして悪質客の利用を制限する措置をいち早くとらなかった。これは業務上の怠慢である、という理屈である。
個人的には、「痴漢されたのは痴漢されるような服を着ていたからだ」並みに、乱暴で横柄な自己責任論の香りを感じなくもない。
制度のハックは許されるのか
とはいえ、今は「制度ハックは賢い人間の賢い行動」という空気が優勢だ。
稲田豊史『ぼくたち、親になる』(太田出版)
「法律には抵触してない」
「制度を熟知して利用しただけ」
「そういう人間だけが勝者として生き残れるのだ」
おっしゃる通り。ぐうの音も出ない。
ふと、某政党がかつて選挙時に行ったやり口を思い出す。当選を目的としない立候補者が別の候補者の当選を手伝う代わりに、より多くの選挙用リソース(ポスター掲示板の使用、街宣用の車の利用など)を確保する「2馬力選挙」。あるいは、SNSによって大量拡散したデマを、リテラシーの低い有権者に信じ込ませて集票する戦略。これらは選挙制度のハック、あるいは民主主義のハックとも呼ばれた。
これを賢い人間の賢い行動と感心するか、下品で浅ましいと蔑むかは、人による。意気揚々と相席ブロックを常用するタイプがどちらなのかは、言うまでもない。







