それよりも、日頃、大した用がないようなときでも、機会を見て一筆の短文をつづって、お互いに音信を通じる。こういった習慣を持っていれば、まさかという大ごとが起きたときでも、少しの言葉だけで用を済ませられる、といった利点がある。

 まれに大きな宴会を開いて、古くからの友達や親戚のもてなしに大金を費やすよりも、花鳥風月を眺めながらお茶を飲んで、四季の移ろいを一緒に楽しむほうがいい。気軽に集まり、ときどき互いの顔を見るほうが、かえって楽しいのだ。

 西洋の文明社会には、「ティーパーティー」というのがある。簡単なお菓子を用意した上で客を招き、男女が混ざって遊戯談笑し、一夕の楽しい時間を過ごすのだ。あえて交際の方法を手軽にすることで、会合を開きやすくしておこう、という趣旨から出てきたものだろう。

 また、人に品物を贈るのは、その物がいいものかそうではないかは関係なくて、ただ「寸志」を表すだけの行為である。よって、たとえば昔からの恩人に感謝を伝えるとか、または現在世話になっている年長者や先輩などに挨拶するとかいった場合、一時的にすごく価値のある品物を贈ったからといって、それで「勘定」が済むわけではない。

 本当に自分の心に感じ入るところがあるなら、それをいつも忘れずにして、ときどきは先方の邪魔にならないかたちで訪問しよう。あるいはなにかを贈るとしても、心を込めてすれば、それがちょっとしたものであろうと、友情はじゅうぶん伝わる。

マメな人ほど人生も
人間関係もうまくいく

 以上、語ってきた交際法は、簡単そうで決して簡単ではない。

『福翁百話』書影『福翁百話』(福沢諭吉著、奥野宣之訳、致知出版社)

 心身が元気で、あらゆることに行き届いており、どこまでも根気よくできる人であって、初めてうまくできるだろう。

 世間には「大人物は細事を顧みないものだ」などと言って、ひとり得意になっている者がいる。用事のない人に文通をしないのはもちろん、用あっての手紙にさえ、返事しないことが多い。

 こういうのは、本人の不利になるだけでなく、社会全体を殺風景にするものと言えるだろう。

※本記事には、今日の社会通念に照らして不適切と思われる言葉がありますが、歴史性、当時の時代背景を鑑み、底本のままとしました。