約200年前に書かれた福沢諭吉の「男女平等論」写真はイメージです Photo:PIXTA

SNSなどでジェンダーをめぐる議論が絶えない昨今だが、福沢諭吉は約200年前から「男女平等」の本質を見抜いていた。彼が人生論を語ったエッセイ『福翁百話』には、夫婦間の平等性や女性の尊厳をめぐる先進的な考え方が数多く記されている。ここではその中から2話を取り上げ、福沢が説く男女平等の本質に迫る。※本稿は、教育家の福沢諭吉著、奥野宣之訳『福翁百話』(致知出版社)の一部を抜粋・編集したものです。

※本記事には、今日の社会通念に照らして不適切と思われる言葉がありますが、歴史性、当時の時代背景を鑑み、底本のままとしました。

西洋に比べて日本女性は強い
夫も子も知らぬ間に服従している?

「日本国の婦人には権力がない」と言われる。

 この言葉は本当にその通りである。男女が「室に居る」とき、ある部分においてはじつに卑屈であって、常に男子の風に吹かれているようだ。しかし、また別の一方から見るときは、想像もしていなかったようなところで、「巨大な女権」というものが自然と見つかるだろう。

 外国の紳士、または国内の人であっても、ややもすれば簡単に見過ごしがちなところなので、念のためにひとこと言っておこう。

「日本の婦人は男子に対して卑屈である」というのは、その形式上では、とてもよく見られる現象だけれど、内実の本当のありさまにおいては、外面のような感じではまったくない。それどころか、ときとして女権は強大であって、じゅうぶんな勢力を誇ることすらあるのだ。

 ことわざの「牝鶏の晨す(めんどりが時を告げる)」や、俗に言う「女将軍」と呼ばれる者が、主人を無視して独裁政治をする、といったようなことは例外として置いておこう。

 それでも、一家の母が子の前に立ったときの権力は、ほとんど無限大であり、どんな男子であろうと母の意見には従わざるを得ない。