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明治の教育家・福沢諭吉は、9人の子どもを育て上げた家庭人でもあった。彼が人生論を語ったエッセイ『福翁百話』には、夫婦や家族のあり方をめぐる珠玉の言葉が多く残されている。ここではその中から2話を取り上げ、福沢が書き残した、夫婦円満の法則を読み解く。※本稿は、教育家の福沢諭吉著、奥野宣之訳『福翁百話』(致知出版社)の一部を抜粋・編集したものです。
※本記事には、今日の社会通念に照らして不適切と思われる言葉がありますが、歴史性、当時の時代背景を鑑み、底本のままとしました。
気楽な独身暮らしを捨てて
家族を営むことの意義とは
家族団欒は、とても楽しいものだ。
ただ、およそ人間社会の事柄というのは交換取引の仕組みになっており、すみっこにあるどんなささいなことであれ、報酬なくして得られるものはない。
労働しなければ、衣食を得られないし、こちらから与えなければ、人も私に与えない。苦は楽の種であって、楽は苦の前兆だ。ということは、「男女室に居るは、人の大倫」で、限りない快楽であるといっても、この快楽もまた何らかの報酬なくして、決して得られないものである。
もともと人間というのはわがままなものなので、独身ほど気楽なことはない。あらゆる快楽はひとり占めにして、苦痛があれば自業自得と諦めるだけ。起居眠食、出入進退、すべて好きなようにして、まわりに遠慮するようなものはないから、まるで唯我独尊の境地である。
ところが、いったん結婚してだれかの妻や夫になったら、その日から独身の気楽さは完全に途絶えてしまう。
寝るも起きるも、出るも入るも、自由きままにはいかない。食事の時間やその献立さえお互いに相手に気を配って、遠慮するようなことも出てくる。







