「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
Photo: Adobe Stock
日本人を悩ませる「英語コンプレックス」
現代の日本社会、そして日本人が英語に持つ感覚はどうだろうか。
インドの状況は他人事ではない。確かに日本ではインドのように高等教育が積極的に英語で行われた歴史や、社会の上層を英語話者が占めているという極端な環境ではない。しかし、英語の能力の希少性という点においては、インドよりも高い環境にあると言える。
例えば、インド民同士で普通に現地の言語で話していたはずなのに、他人に何かを注意するときは、敢えて英語で嫌味ったらしく、あまり使わない複雑な表現や語彙でまくしたてる癖も見られる。ここには「私の主張は聞くに値するものだ」という気持ちが透けて見える。
「英語が上手い」がハッタリに使える
「とにかく流暢」に英語を話す日本人を見た時、彼らの「中身」をあまり知らなくても、その事実だけで彼をひとかどの人物のようにみなしてしまう傾向が間違いなく日本人にはある。実際の国際ビジネスの舞台はさらに露骨だ。
ただ、一度冷静になってみると、アメリカ・イギリスに行けばスラムの住人から殺人犯まで全ての人間が英語を話す。本来は、英語などというのはただの言語に過ぎず、その人が英語を話せるかどうかと、その人の教養・人間性・知能は直接的な因果関係では繋がらない。しかし、国や地域によっては、英語が異常なまでに強いシグナリング効果(=お得なハッタリ)を持つ場合があるというわけだ。
△英語能力があっても「中身」がなければ意味がない。
◎日本国内でも、話せるだけで「一目置かれて」チャンスがやってきやすくなる。国際社会では英語力は「人間のランクを示す身分証明書」。
ビジネスで出会う多くの人が、あなたと実際に合っている時間は驚くほど少ない。そんな少ない時間の中で、効率的に「あなたはすごい人だ」と相手に思わせることができれば、それだけでビジネスでもプライベートでも効率的に幸せを手にすることができる。逆に、その時間で「自分の中身まで知ってくれ」というのは、なんともか細い期待だ。
インドのような生存競争の激しい国では、その場で短期的利得を刈り取るスタイルが合理的になる。日本でこのテクニックをそのまま使い続けることは難しいが、自らが合理的に生き抜くためのヒントとして、インド人の思考習慣を学ぶことには意味がある。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)









