「もう嫌だ」と思った自分を責めていませんか。それは弱さではなく「今のままを変えたい」という合図です。明日への一歩を踏み出すにはどうすればよいのでしょうか?
IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏の愛読書と話題となり、韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説します。

「絶望」は「弱さ」ではない
誰でも一度くらいは、
明日が来ないことを願う。
――『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』より
落ち込んで「もう嫌だ」と思うことは、誰にでもある。
それは弱さではなく、「今のままではダメだ」というサインだ。
このサインがあるから、私たちは生活を少しずつ良くできる。
ライプニッツの「最善の世界」という言葉は、問題がない世界という意味ではない。
「ここから最善に近づける余地がある世界」と読むとわかりやすい。
「もう生きたくない」という言葉の裏には、「本当はこう生きたい」が隠れている。
まず、不満を小さく分ける。
何に疲れたのか、何に腹が立つのか、何を望むのかを一行ずつ書く。
そのあと、次にできる行動を一つだけ決める。
たとえば「今日はこの作業だけ終える」「この件は助けを頼む」などだ。
比べる相手を他人ではなく、昨日の自分にする。
速さではなく、向きが合っているかを確かめる。
終わったら印をつけ、よかったことを三つだけ書く。
小さな達成は、気持ちを立て直す土台になる。
人は、良いことには鈍く、悪いことには敏感だ。
だから、余計な痛みを増やさない工夫と、良かった瞬間を言葉に残す習慣が要る。
嘆きはその材料になる。
不満を行動に変えた瞬間、私たちはすでに「最善」に一歩近づいている。
結局、「もう嫌だ」は「もっと良くしたい」という意志の別の言い方だ。
その声を読み取り、今日を一つだけ整える。
それを続けることが、悲観にも楽観にも飲まれず、前へ進むいちばん確かな方法である。
(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)









