40代に入ると、若い頃の「本文」を読み返し、苦痛を増やす人生に注釈を付け直す時期だ。快楽を求めるより、痛みを減らす賢さへ――あなたなら何を手放し、どんな一行を書き足すのか?
IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏の愛読書と話題となり、韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説します。

人生のうち最初の40年は本文であり、次の30年は本文に対する注釈である。

40歳を過ぎたら求めるものを変えよ

人生のうち最初の40年は本文であり、
次の30年は本文に対する注釈である。

――『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』より

40代に入ると、幸福や苦痛の見え方が変わる。

若い頃に書き散らした「本文」を、読み返して注釈を付け直す時期になる。

何が自分の苦痛を増やしていたのかを振り返り、減らす知恵を覚える必要がある。

ショーペンハウアー自身、40代半ばを越えてようやく花ひらいた。

そこは危機であり、分岐点でもあったが、彼はそこで筆を折らなかった。

もし諦めていたら、名声も、静かな満足も得られなかっただろう。

この世界を理解するには、経験だけでなく、広い視野と多様な見方が要る。

目の前の出来事を判断し、栄養に変える成熟は、少なくとも40歳以降に本格化する。

青春には賢さは少ないが、向こう見ずな勇気がある。

40歳からは、快楽を増やすより、苦痛を減らすほうが賢い生き方になる。

期待を少し下げ、比較の回数を減らし、無理な約束を手放すだけで、日々の摩耗は目に見えて減る。

ショーペンハウアーは70歳の誕生日を過ぎ、その後この世を去るまで、穏やかな時間を過ごしたと伝わる。

生前に理解されないと覚悟していた著作が評価され、遅れて社会的名声も与えられた。

だが、彼が晩年に手にしたのは、称賛や富というより、「人生の知恵」だったのかもしれない。

注釈とは、本文を否定することではない。

事実を短く書き、解釈を一行にまとめ、次にすることを一つ決める、その繰り返しだ。

40歳を過ぎても、未来を即断することはできない。

けれど、苦痛の原因を減らし、視野を広げ、今日の注釈を丁寧に書くことはできる。

その一行が明日を読みやすくし、本文の意味を静かに深くしていく。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)