「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

紙コップが散乱、街はゴミだらけ…「気にせずポイ捨てする外国人」は一体何を考えているのか?Photo: Adobe Stock

「ゴミのポイ捨て」なぜ?

インドの路上はゴミばかりだ。

デリーの中心部にある私の家から100mくらい離れたところに、小さな川が流れている。その川の両岸を覗くとあらゆるゴミであふれていて、風向きによっては耐えがたい臭いが私の家の近くまで流れてくる。

日本でも、訪日外国人のゴミのポイ捨てや路上喫煙が最近よく取り上げられる。もちろんこのような問題を起こしているのは、一部の訪日外国人であるが、平気で街を汚していく彼らの頭の中がどのような構造になっているのか、少し考えを巡らせてみると面白い。

「すぐ街角をカオスにする」インド人の頭の中

例えば、冒頭紹介したように、すぐに街角をカオスにしてしまうインド民は、環境や街の美化についてどのように考えているのだろうか。もともと美化や衛生に全く関心がないかと言えば、決してそうではない。

彼らの日々の行動や発言を研究していくと、「私の場所」、「あなたの場所」の他に、「みんな(公=Public)の場所」という概念が極めて薄いことが分かってきた。
そもそもインド民にとって、「みんな」という曖昧な存在は想起しにくい。言葉が通じ、同じ宗教的価値観を持ち、知能や倫理観も似ている集団であれば、「みんな」という共同幻想は成り立つかもしれない。しかし、インドはこれらが全て違うような人々が入り混じって暮らしており、文字通り「話が通じない」人もいる。

そんな中では、「みんな」という概念が育ちにくいし、「みんなの場所」という感覚は更に抱きにくい。だからこそ、「私の場所」でも「あなたの場所」でもないような空間に対するリスペクトが小さい。

紙コップが散乱するチャイ屋

インド民は、「私の場所」については物凄くうるさく、家の中は実はかなり綺麗にしている。メイドに頻繁に掃除をさせ、「私の場所」を清潔に保つ努力に余念がない。
「あなたの場所」についてもしっかり気を遣う。ショッピングモールの中ではポイ捨てはしないしオフィスも綺麗に使う。これらの場所は、所有者がはっきりしており、「あなたの場所」であることが明確だからだ。そこを汚せば所有者が怒ることを知っている。

しかし、ひとたび外に出ると、そこは「みんなの場所」ではなく、「誰のものでもない場所」とみなされ、平気でゴミを捨てる。例えば、私が路上のチャイ屋で紙コップ入りのチャイをたしなみ、飲み終わったコップをどこに捨てればいいかチャイ屋の店主に聞くと、彼は路上を指す。確かにそこには無数の紙コップが散乱していて皆が路上に捨てて帰っていくようだ。何年インドに住んでもこれには抵抗感を感じる。

悩みを「世界の常識目線」から見直す

世界には、日本に住む人々からすればケタ違いに常識はずれの文化があり、そこで暮らす人々がいる。

彼らは無茶苦茶な生活をしているようにも見えるが、現代日本人よりも幸せそうに見えるときもある。あなたが、日々の生活に思い悩んでいるならば、全く常識が通じない人々の思考法から自分の悩みを見直してみることも必要だ。そのまま見習うことは到底おすすめしないインド民の思考や行動も、そのエッセンスの中には、今まであなたが見たこともない世界が広がっている。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)