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今年の漢字は、「熊」となった。もとになったのは、東北を中心に今年相次いだクマの出没と人的被害だ。ただ、クマの出没が増えることは予想に反していたかというとそういうわけでもない。2025年は「起こることがほぼ確実な事象に対して、人がいかに準備を怠るか」という、人間(国や自治体)の残念な一面を示す問題が、クマ被害以外にもいくつも起こった。(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)
クマ被害
「出るとは言われていたが、まさかわれわれの近くに現れるとは」
まずクマ被害である。
クマによる出没と人的被害は全国的に大きな社会問題となった。とりわけ東北地方を中心に、住宅街や通学路などの“人の生活域”でのクマ目撃が相次ぎ、住民の不安が一気に高まった。こうした状況の中で、象徴的だったのは、住民たちの口から一様に漏れた次のような言葉である。
「まさか、本当にこんな場所に出るとは……」
しかし、クマはなにも突然市街地に押し寄せたわけではない。実は、専門家は数年前から次のような兆候を指摘していた。
•ドングリ類(ブナなど)の凶作によるエサ不足
• 里山管理の遅れや放置農地の増加
• 猟友会員の減少など、人側の管理力の低下
• 都市近郊の宅地開発で“山と街の境界”が曖昧に
これらの複数の要因が静かに蓄積し、人とクマの行動圏が重なりうる環境が整いつつあったのである。
そもそも、今年の早い時点で、山の実りが不作でクマが里山に出没しやすい、という警告はニュースなどで報じられていた。にもかかわらず、私たちの多くにとってクマはあくまで“山の動物”であり、「まさか自分の暮らす町に出てくるはずがない」という認識はなかなか変わらなかった。
行政側も、警告や巡回、わなの設置といった対症的な対応は行ったものの、大きな流れを変えるほどの生息環境管理や土地利用の見直しには踏み切れなかった。
結果として、「予兆は確かにあった。しかし、それを“現実の危機”として扱わなかった」という構造が、今年になって一気に表面化したのである。
今年のクマ被害は、
1.高い確率で予測されていた
2.兆候も数多く指摘されていた
3.しかし、誰も“本当に起こる”とは思っていなかった
という、人間の「認知の遅れ」を象徴する出来事となった。







