まずは「順算」で、目の前の仕事で「結果」を出す

 では、彼らはどうすべきなのか?
 こういう場合は、「逆算」ではなく「順算」すればいいのです。
「逆算」とは、「目標にたどり着くために、今、何をすべきか?」と遡って考える思考法で、「順算」とは、「今、自分にできることや、今、使えるリソースを使って、前に進んでいく」という思考法です。

 つまり、先ほどの若者であれば、「起業家になりたい」という夢は夢としてもちながら、「今はサラリーマンなんだから、まずは、会社の仕事で結果を出す」「会社で許される範囲で、ベンチャー起業で副業をやって、起業のタネを探す」など、今の自分にできることを「順算」でやっていけばいいということです。

 もちろん、「まずは、会社の仕事で結果を出す」ことにしたのならば、その「目標」から逆算して考える必要はあります。

 だけど、「起業家になりたい」という夢から逆算しようと思っても、何も出てきません。それよりも、「まずは、会社で結果を出そう」と順算で考えて、一つずつ結果を出していくべきなのです。そうすれば、どこかで「起業」のチャンスに出会う可能性は確実に高まるでしょう。

 たとえば、社内で「優秀な社員」と認められれば、新規事業のプロジェクトチームに抜擢されることによって、「社内起業」の経験を積むことができるかもしれません。あるいは、社外の有力者から「今度、ベンチャーを立ち上げようと思うんだが、手伝ってもらえないか?」などとオファーが入るかもしれません。

「起業家になりたい」という夢をもって、目の前の仕事に一生懸命に取り組んでいれば、自然とそういうチャンスを引き寄せるはずなのです。

「夢」ですらなかったオリンピックが、リアルな「目標」になった瞬間

 実は、トップアスリートも全く同じです。
 野村さんだってそうです。野村さんは、叔父さんが金メダリストという柔道一家の生まれでしたが、身体が小さくて非力だったこともあり、幼い頃から、オリンピック出場は「夢」ですらなく、テレビのなかの出来事にすぎなかったとおっしゃいます。

 だけど、柔道が好きだったし、負けん気も強かったので、目の前の目標には貪欲にチャレンジを続けました。高校時代には、柔道部の同級生に対して「こいつには負けたくない」と目標にし、次に「奈良県大会で優勝したい」「関西大会に出たい」「全国大会に出たい」と順算で前に進んでいったのです。

 そして、1993年に天理大学に入ると、身体ができてきたこともあり戦績が向上。国内でトップ10くらいには入る実力をつけたのですが、オリンピックの出場枠は各階級ごとに一人でしたから、野村さんは、「1996年のアトランタ五輪を狙えるようなポジションじゃない。4年後のシドニーでええやろ」と考えていました。

 それを象徴する、面白いエピソードがあります。
 1995年11月、アトランタ五輪の第一次選考会となる講道館杯で準決勝にまで進み、アトランタ五輪代表の大本命だった園田隆二選手と対戦する直前、待機場所で仮眠をとっている野村さんのところに、お父様がやってきてこうおっしゃったそうです。

「おまえ、次、園田選手とやぞ。大丈夫か?」
「え?」
「園田選手は、世界チャンピオンなのにおまえとの対戦に向けてしっかりとウォーミングアップしている。寝ている場合と違うぞ!」

 驚いた野村さんが慌てて園田先輩を探すと、たしかにすごい気合で汗を流していました。だけど、お父様にこう切り返したといいます。

「あの人はオリンピックに行く選手やから、あのぐらいやって当たり前やんか。オレはまだ、これからの選手やから、もうちょっと先でいいよ」

 すると、お父様は妙に納得したような様子で、「そうか……」と言って立ち去ったそうです。もちろん、その準決勝で敗退。それでも、ベスト4まで行ったことに、野村さんは満足だったのだそうです。

現実的可能性が生まれたとき、「夢」は「目標」になる

 ところが、それから数ヶ月後――。
 突然、状況が変わります。1996年2月に国内の有力選手が海外の大会に派遣されたのですが、フランス国際、ドイツ国際などの「格上」の大会に派遣された上位3人の選手が惨敗。チェコ国際という「格下」の大会ではありましたが、そこで優勝した野村さんにいきなり、アトランタ五輪出場の可能性がわずかに生まれたのです。

 その条件は、1996年4月に行われる五輪最終選考会となる国内大会で、よい内容で優勝すること。この情報が耳に入ったときにはじめて、野村さんにとって、オリンピックが「自分ごと」になりました。

 しかもこの大会では、当時、野村さんより評価の高かった同級生のライバルと準決勝で対戦することがわかっており、もしもここで彼に負けたら、ずっと彼の「下」に甘んじることになるかもしれないという強烈な危機感もありました。「その同級生にだけは負けられない」という強い気持ちがあったのです。

 そして、オリンピックというゴールから「逆算」して、密度の濃い一日一日を過ごすようになったというのです。

 つまり、こういうことです。野村さんにとって、オリンピックというものは、ずっと「夢」ですらなかった。だけど、「順算」で柔道を続けるうちに、だんだん強くなった野村さんは、「シドニー五輪に出場する」という夢をもつようになった。

 ところが、「アトランタ五輪への出場」に現実的な可能性が生まれた瞬間に、オリンピックは「夢」から「目標」へと変わるとともに、オリンピックというゴールからの「逆算」が始まったのです。

「本気」になるたった一つの方法

 この感覚は、僕にもよくわかります。
 というのは、僕はプルデンシャル生命に転職するときに、「日本一の営業会社で日本一になってみせる」と口に出して言ってはいましたが、本当のところ、それは「目標」になりきれない「夢」でしかなかったからです。

 だから、本当のことを言うと、少しうまくいかないことがあると、すぐに「やっぱり、日本一なんて簡単にはなれんよな」「ああ、やっぱり転職なんかせんかったらよかった」などと、心は簡単にぐらついていました。

 そして、「自分が本当に日本一になれる」と信じていなかったので、順算でしか考えていませんでした。つまり、当時、プルデンシャル生命で推奨されていた「週に三つの契約をお預かりする」という目標をひたすら追いかける生活を送っていたのです。

 ところが、数々の失敗を経験しましたが、忠実に順算を続けながら、僕なりの営業手法を磨くうちに、だんだんと営業成績が上がるようになってくると変化が訪れます。

「いけるんちゃうか?」という気になってくるのです。そして、毎週発表される「営業ランキング」のトップにはかなり引き離されているものの、「必死で頑張ったら逆転できる可能性はある」と思えた瞬間に、「日本一」が「夢」ではなくなった。「日本一になりたい」ではなく、「日本一になる」という「譲れない目標」に変わったのです。

 ここで、はじめて僕は「逆算」を始めました。
 過去の営業データを洗い出して、だいたい年間でどのくらいの売上を上げたら「日本一」になれるかを概算。その数値をもとに、「毎月いくらの売上を上げるか」「毎週どのくらいの契約をお預かりするか」「毎日どのくらいの数のアポ電話をするか」といった行動目標を決めて、それを一切の妥協なくやり続けました。

 その結果、幸運にも恵まれて、転職初年度にして「日本一」を達成することができたのですが、そのために最も大切だったのは、「逆算によって、どんな行動目標を定めるか」ではなく、その行動目標をどれだけ「本気」になって追い求めることができるのかでした。

 というか、「逆算」そのものは、頭さえ使えば誰にだってできます。もしも、必要であれば、第三者のコンサルタントみたいな人に弾き出してもらったっていいでしょう。だけど、「本気」は、自分の内側からしか出てきません。

 では、どうすれば「本気」になれるのか?
「順算」によってコツコツと実績を積み上げることによって、「夢」にリアリティが備わり、「目標」へと変化した瞬間に、その「本気」は生み出される。つまり、コツコツと順算を積み重ねることこそが、「本気」の源なのです。

(この記事は、『超⭐︎アスリート思考』の一部を抜粋・編集したものです)

金沢景敏(かなざわ・あきとし)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。