「作者として有り難くもあるが、今更あんなものをと云ふ気もして、少々キマリ悪くもある。あれが発表された当時は、誰も褒めてくれた者はなかった」

『金色の死』から着想を得て『パノラマ島綺譚』を仕上げたように、自分の影響を大きく受けている乱歩に対して、谷崎は同業者として思うところがあったのだろう。谷崎は乱歩から対談を申し込まれても断っている。

 それでも乱歩から二度目の対談の申し入れがあったときは、谷崎もいったんは引き受けるも、右手に痺れを覚えたために、医師から止められて、企画は中止となった。

 1965(昭和40)年に乱歩が71歳で脳出血によって死去すると、その2日後に谷崎は腎不全に心不全を併発し、79歳でこの世を去ることになる。

 二人の邂逅が叶わなかったのは残念だが、自分より数年下の世代というのは、対抗意識を持ちやすく、案外に意識してしまうものなのかもしれない。

 乱歩が谷崎作品に心揺さぶられたように、若き日の谷崎は24歳頃に永井荷風の『あめりか物語』を読み、「自分の芸術上の血族の一人が早くも此処に現れたような気がした」とのちに書くほどの衝撃を受けている。このとき、荷風は7歳年上ですでに流行作家だったという点でも、乱歩と谷崎の関係によく似ている。そして、やはり谷崎と荷風も互いにけん制しながら、負けじと筆を走らせ続けた。

 そんな荷風は森鴎外を師と仰いだが、20歳という年の差もあり、対抗意識には至らなかった。若い文学者へのメッセージとして「文学者になろうと思ったら大学などに入る必要はない。鴎外全集と辞書の言海とを毎日時間をきめて三四年繰返して読めばいい」とまで言っている。

 作家は憧れた作家からどんな影響を受けて、自分の作風を作り上げるのか。「森鴎外→永井荷風→谷崎潤一郎→江戸川乱歩」と順に読んでいくと思わぬ発見があるかもしれない。