「自主性」と「主体性」――この二つは一見似ているようにも見えますが、本質的には似て非なるものです。その違いは単なる行動スタイルの違いにとどまりません。加藤洋平さん中竹竜二さんとの共著『「人の器」の磨き方』より一部を抜粋し、発達心理学者、カート・フィッシャーの「ダイナミックスキル理論」や成人発達理論の権威であるロバート・キーガンの「構成主義的発達理論」も引きながら、「自主性」と「主体性」にどのような違いがあるか、また成長にどう影響するかなどをわかりやすく解説します。
「真面目」が災いに…?(Photo: iStock/pain au chocolat)
「自主性」と「主体性」の違いから見えてくる成長の違い
あなたがこれまでの人生で、何かに挑戦したことで「自分が変わった」と実感した経験があるとすれば、その「変化」をもたらしたのは、与えられた課題をこなす力ではなく、未知の世界に飛び込む「主体性」だったのかもしれません。
私(中竹)の場合、挑戦を語るときには「自主性」と「主体性」の違いを分けて伝えるようにしています。多くの組織が「自ら考えて行動しよう」というとき、この2つを混同していることが少なくありません。しかし、両者は全く異なる概念です。
まず「自主性」とは、「決まったことを徹底的にやり抜くこと」だと私は解釈しています。自主勉強、自主学習、自主練習といったものは、やる内容があらかじめ大体決まっています。それを自らの意志で継続し、徹底することが自主性です。一方の「主体性」は、「決まっていないことにリスクを負って挑戦すること」です。
この違いは、日本人の特性を考えるうえでも重要です。ラグビーの世界でもビジネスの世界でも、日本人は「決まったことを真面目に徹底する力」においては世界一といえるでしょう。しかし、主体的に働きかける力については、ラグビーの強豪国や先進的なビジネスを生み出す欧米企業と比べて、まだ課題が残っているように思います。
実際に、主体性が発揮されるとイノベーションが生まれやすくなります。決められたことをやり切る自主性だけでは新しい発想は生まれにくいですが、リスクを背負って挑戦する主体性はイノベーションの芽を育てる重要な要素になります。
もちろん、自主性が不要というわけではありません。人が成長するためには両方が必要です。ただし、日本人がこれまで得意としてきた自主性に加え、今後は主体性をより重視していくことが大切だと考えます。
主体性を発揮すると失敗のリスクも伴います。しかし同時に、これまで知らなかった自分に出会う驚きや発見が生まれます。そして、その発見を周囲も新鮮な驚きとして受け止めてくれるようになります。そこに「他者視点を獲得するチャンス」が生まれるのです。
同じことを繰り返していると、得られるフィードバックは「できた」「できなかった」という単調なものになりがちです。しかし、主体的に起こした変化からは、それまでとは全く異なる反応や評価が返ってきます。その経験が他者視点の獲得につながり、人としての器を大きくするのです。
さらに、主体性は古代ギリシャの哲学者ソクラテスが説いた「無知の知」にも通じます。無知の知とは、「自分が無知であることを自覚すること」です。自分が知らないと認めるからこそ、新しいことを学びたいという意欲が生まれます。
主体的に一歩外に踏み出すと、知らないことの大きさや広さに気づき、物事の見方が根本から変わっていきます。海を見たことのない人が初めて海を見て、その広大さに驚くように、未知の世界に触れることは、これまでの経験や認識の価値を再構築する体験になります。これこそが、人の器を育てるプロセスなのです。
「無知の知」が芽生える場面は、実は日常の中に多くあります。
例えば、人事異動がその一つです。長年製造現場にいた人が営業や開発、総務といった部署を「理解できない」と感じるのはよくあることです。
しかし、実際に営業に異動してみると、その仕事の大変さが理解できるようになります。開発の人が営業を経験すると、「商品力で売れている」と思っていたものが、実は顧客との関係性を築く営業努力によって支えられていたと気づくことがあります。逆に、営業から開発へ異動した人は、緻密な研究開発があってこそ商品が成立しているのだと理解し、敵視から感謝へと意識が変わっていきます。
そうした瞬間こそ、人の器が大きくなる体験です。他者視点の獲得が器の成長につながるのです。
知らなかったことに気づくことは、自分の器を広げる最も重要なタイミングの一つです。異動だけでなく、転職もまたそのチャンスを生みます。
ここまで述べてきたように、人の器を磨くためには、これまでの自分とは異なる経験を積むことが欠かせません。相手の立場に立って考えること、違う部署で働くこと。こうした経験が器を成長させる大きな転換点となるのです。
特に、異動や越境などによって物理的な環境を自ら変えることは、自分の立ち位置を新しいステージに移すことであり、器の大きさを引き上げるために欠かせない要素だといえます。
人間の成長に不可欠の「自主性」と「主体性」
成長の基盤として語られる「自主性」と「主体性」は、本質的には似て非なるものです。自主性が「決められたことをやり抜く力」であるとすれば、主体性は「未決定の場において、自らリスクを取って動く力」です。成人発達理論の視点では、この差異は単なる行動スタイルの違いにとどまらず、意識構造の発達段階の違いとして明確に説明できます。
ハーバード大学教育大学院の発達心理学者、カート・フィッシャーの「ダイナミックスキル理論」において、自主性は習得されたスキルの反復的運用に近く、安定した文脈の中での自己調整能力として機能します。一方で、主体性は“新しい文脈におけるスキルの組み換え”を伴い、スキルの再構成や統合的応用が求められるため、より高次の発達レベルに属します。未知の文脈に飛び込むことは、行動と感情の複合的な構造の進化を促進する強力な条件になります。
成人発達理論の権威であるロバート・キーガンの「構成主義的発達理論」では、自主性は「他者依存的段階(第3段階)」の中でも発揮されうる力ですが、主体性は「自己主導的段階(第4段階)」以上でなければ根付かない能力です。リスクを引き受け、自らの価値判断に基づいて意思決定を下すには、他者から与えられたルールや期待に基づいた自己からの脱却が必要です。また、失敗を通じて「無知の知」に至るというプロセスは、まさに“主体の再構成”であり、成長の核心そのものです。
クック=グロイターの「自我発達理論」の観点では、主体性は「自我のさまざまな側面を統合して一つの方向性を生み出す力」として位置づけられます。特に、自律的段階以降では、“自分が知らないことを知っている”というメタ認知的自覚のうえに、未知への好奇心と越境的対話の姿勢が生まれます。主体性とは、他者との比較や異文化的経験を通して自己を相対化し、新たな認識と価値観を創出するプロセスなのです。それは単なる行動力ではなく、「自分が見えていなかった現実」を引き受ける“器の深まり”に他なりません。
ここまでのところを総括すると、「器」とは静的なサイズのことではなく、構造、意味、関係性、そして再構成の柔軟性を備えた動的プロセスです。壊れた器を金継ぎで再構成するように、私たちの成長もまた、失敗や挫折を通して深まり、他者や文脈との関係性の中で育まれます。そして、真に器の成長を促すためには、自主性だけでなく主体性――すなわち未知に飛び込み、自己を更新しようとする意志と勇気が不可欠です。
3つの成人発達理論の視座を重ねることで、私たちは器の成長を単なる“学習”ではなく、“意味づけの再構築”として捉える視点を得ることができるでしょう。





