「あの人には器がない」「器が小さい」「あの人は部長の器じゃない」などとよく耳にしますが、いったい「人の器」とは何なのでしょうか。加藤洋平さんと中竹竜二さんの共著『「人の器」の磨き方』より一部抜粋し、成人発達理論の権威であるロバート・キーガンの論を借りながら掘り下げていきます。

グロービス「人の器」はどう測る?(Photo: iStock/gentlelight)

「人の器」は定義できるか

 人はしばしば、無意識のうちに他人の器を測ろうとします。「あの人には器がない」「器が小さい」「あの人は部長の器じゃない」などと。

 けれど、それはしばしば自分の価値観でつくった「物差し」で人を判断しているにすぎません。よって、「器を測る」という行為については、慎重である必要があります。

 なお、ここでは人の器を測ることそのものが悪いといっているのではありません。むしろ、自分の成長のために、自他の器を静かに見つめようとする態度はとても大切です。しかしそれが、人を選別したり、誰かを評価したりするための基準になってしまうと、その「測る」は、器を育てるどころか、他者を傷つけ、人間関係を損なうものになってしまいます。

 だからこそ本書は、単なる技術論ではなく、「私たちは何のために、誰のために、この器という概念と向き合うのか?」という自己への問いかけの書でもあるのです。

 これまで人の器が捉えどころのないものとして扱われてきたのは、定義が難しかったからです。心理学の観点から性格分析などいくつものアプローチが試みられてきました。心理学の120年あまりの長い歴史の中で、多くの研究者がさまざまな基準を提唱してきましたが、統一された目安はいまだにありません。

 ただ、それらの研究を総合的に解釈すると、「人の器とは、ものの捉え方の豊かさ」と定義することができるでしょう。

 比喩的に表現すると、「器の大きさとは、多様なメガネを持っていること」であり、これは表面的なスキルや知識の豊富さとは異なるものです。

 多様なメガネを持つとは、物事をさまざまな見方で捉えられるということです。自分の見え方と他者の見え方を同時に理解できること。つまり自己視点と他者視点、主観と客観を両立できることです。

 例えば、テーブルの上にコーヒーカップがあるとします。自分の座っている位置からは取っ手が右側に見えますが、向かい側に座る人からは取っ手が左側に見えているはずです。実際にその位置に移動しなくても、相手の立場からはどう見えているかを想像できる。これが多様なメガネの使い方であり、そうした見方ができることが器の大きさや質を表しているのです。

 この定義に照らせば、器を育てる3つのフェーズ、「知る、味わう」「磨く、強くする」「大きくなる」も、結局は「ものの捉え方」を豊かにしていくプロセスといえます。自分を知ることで新たな視点を得て、磨くことで壊れた視点さえも新たな価値として受け入れ、より豊かな視点へと統合していく。そうして多様なメガネを増やしていくのです。

「人の器」とは何か――ダイナミックスキル理論からの提案

 改めて、「人の器」とは何でしょうか。

 これまでも心理学や性格分析などの観点からさまざまに語られてきましたが、はっきりと定義されたことはほとんどありません。多くの人が「あの人は器が大きい」「あの人は器が小さい」といった表現を使いますが、その実態は曖昧です。

 ここで、ハーバード大学教育大学院の発達心理学者、カート・フィッシャーの「ダイナミックスキル理論」という発達心理学の考え方を取り入れると、「人の器」をもう少し具体的かつ発達的に捉えることができます。

 この理論によれば、人は成長するにつれて、より複雑な行動や考え方の「スキル(能力構造)」を、環境との関わりの中で少しずつ組み立てながら発達させていきます。そして、「人の器」とは、このスキルの中でも特に、「多様な視点を柔軟に取り入れ、それを統合できる力」として捉えることができます。

 例えば、自分の考えだけでなく、他者の立場や感情、状況を同時に理解しようとする姿勢。そして、それらをもとにして行動や判断を調整する力。これこそが「器の大きさ」の大事な要件の一つだといえるでしょう。「ダイナミックスキル理論」では、このような多視点の調整は、子どもが成長する中で段階的に発達していくと考えます。

 例えば、幼い子どもは「自分の見方」だけで世界を理解していますが、年齢とともに「相手の見方」や「第三者の立場」も想像できるようになります。さらに発達が進むと、異なる立場同士を統合しながらバランスを取るような思考が可能になっていきます。

 このように、「人の器」とは、発達の中で高まっていく多視点的・抽象的なスキルであり、状況に応じて変化する柔軟な構造なのです。

「人の器」とは何か――ロバート・キーガンの発達理論からの提案

「人の器」とは何かの問いに対して、成人発達理論の権威であるロバート・キーガン(1946-)の「構成主義的発達理論」と「主体客体理論」は、深い洞察を与えてくれます。キーガンの「構成主義的発達理論」とは、人は生涯を通じて「自分が世界をどう意味づけているか」の構造を発達させていく存在であるとする理論です

 キーガンは、人間の成長とは「知識を増やすこと」ではなく、「物事の捉え方そのものが変化すること」、すなわち「意味づけの仕組み=意味生成システム」が変容することであると述べています。私たちは皆、日々の経験を通じて世界に意味を与えながら生きていますが、その意味づけの仕方自体もまた、人生を通じて発達していくのです。

 キーガンの理論の中核には「主体客体理論」があります。この理論によれば、人は自分と一体化しており、まだ意識化できていないものを「主体」として生きています。そして、それを一歩引いて見つめ直し、意識的に扱えるようになったとき、それは「客体」へと転換すると考えます。

 例えば、自分の感情や信念、役割意識などを「これは私そのものだ」と無自覚に生きている状態から、それらを一歩引いて見つめ、「これは自分の一部にすぎない」「変えることもできる」と気づけるようになるとき、器は広がるのです。

 したがって、器の大きさとは、どれだけ多くのものを客体化し、内面世界を広く柔軟に保てるかという、認識の空間の広さ”ともいえるでしょう。

 キーガンはこの発達過程を「心の秩序」として5段階に整理しています。成人期の多くの人は第3段階から第4段階、そしてごく一部の人が第5段階に到達します。

 第3段階では、他者や組織、社会の価値観を自分のものとして内面化し、そこに同一化しています。これは、周囲との調和を大切にする一方で、自分自身の判断基準を持ちにくく、葛藤に弱いという特徴があります。

 第4段階では、自分自身の信念や価値観を構築し、それに基づいて他者の意見や立場と折り合いをつけながら、主体的な判断が可能になります。これは「自己主導的」な意識の器といえます。

 さらに第5段階になると、自らが築き上げた信念体系すらも客体化し、多様な価値観や世界観を柔軟に統合できるようになります。ここでは「正しさ」に固執せず、矛盾や不確実性を含んだまま、それらを開かれた対話へと活かす成熟した器が現れます。

 重要なのは、こうした器の成長は単なる「情報の蓄積」ではなく、「変容」によってのみ達成されるということです。情報は既存の枠組みに加わる中身にすぎませんが、変容とは枠組みそのものの形が変わること、すなわち「器そのものが拡張すること」なのです。この変容は、自分の前提や信念、役割や感情を見直し、それらを「自明なもの」から「吟味可能なもの」へと移し替える中で起こります。

 したがって、「人の器」とは、自分の視点や思考の枠組みを疑い、そこから一歩引いて多様な視点を取り入れ、意味づけの仕組みそのものを柔軟に再構築していく力であるということです。それは、矛盾や不確かさ、対立を排除せずに包み込みながら、なおも前に進もうとする意識のあり方――すなわち、「変わり続ける自己を受け入れ続ける自己」であるともいえます。

 このように、キーガンの理論は、「器の大きさ」とは何かという問いに対して、「それは、より多くを客体化し、より深く世界と関わっていくための、発達的な意味づけの構造である」という洞察を与えてくれます。私たちは皆、その器を広げる旅の途中にいるのです。