子どもを「ほめて伸ばしたい」と頭ではわかっていても、子どもの勉強を前にすると、つい間違いやできていない部分に目がいってしまう。
実はその「見方」そのものに、子どもを勉強嫌にする原因が隠れていると指摘するのは、通信教育「進研ゼミ」の「赤ペン先生」として、20年以上にわたり、のべ8万枚以上の答案に向き合ってきた佐村俊恵さんだ。
佐村さんが上梓した『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた 赤ペン先生のほめ方』には、歴代の赤ペン先生の集合知とも言うべき「ほめ方のノウハウ」が詰まっている。本連載では、本書の内容から、親が今日からすぐに使える声かけのヒントを紹介する。(構成/藤田美菜子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

【あなたは大丈夫?】子どものやる気を台なしにする親の習慣・ワースト1Photo: Adobe Stock

「ほめ上手な親」と「そうでない親」を分ける習慣

 ほめ上手な親とそうでない親の差は、ほめる「技術」の差ではない。本書が明かすのは、もっと手前にある、ある「習慣」の違いだ。

 本書では、ほめる前には必ず「見る」という段階があるという原則が強調されている。

「見る」ことなしに「ほめる」ことはできません。できたとしても、その言葉はただのうわべだけのものになってしまいます。
(『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた 赤ペン先生のほめ方』より)

 著者によれば、子どもたちは「勉強ができるようになりたい」という以上に、「自分のことをきちんと見てくれている人に認めてほしい、喜んでほしい」という思いでがんばっているのだという。

評価者として見るか、子ども目線で見るか

 では、具体的にどう「見る」のか。本書が教えるのは、全体の出来栄えではなく、細部に目を向けるという方法だ。

 たとえば、低学年の子どもが書いた文字は、全体として「上手」とは言いにくいことも多い。運筆力がおぼつかないため、線が弱々しかったり、曲線がうまく書けなかったりする。

 しかし、細部に目を向ければ景色は変わる。たとえば、「りんご」と「すいか」の「り」と「い」をきちんと書き分けられている。漢字のとめ・はねがちゃんと書けている……著者は、こうした細部の「できている部分」を見つけたとき、すかさず「ここがいいね!」とほめるという。

できていないところばかりに大人の目が向いてしまうのは、「評価者」の目線で、「全体でどれくらいできているか」を見ているからではないでしょうか。
(『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた 赤ペン先生のほめ方』より)

 親はつい「評価者」として子どもの答案を見てしまう。100点満点のうち何点取れたか。全体として合格ラインに達しているか。その目線でいる限り、ほめる場所は見つかりにくい。

 一方で、赤ペン先生は「当事者(子ども)」の目線で見るという。1問1問、1マス1マス、自分でも解答するつもりで見ると、おのずと細かいところにまで目が届き、「できているところ」が浮かび上がってくるのだ。

赤ペン先生は「消しゴムの跡」を見る

 「見る」ことの奥深さを象徴しているのが、赤ペン先生が「消しゴムの跡」にまで目を向けるというエピソードだ。

 ある1年生の算数の答案で、片方の解答欄は正しく書けているのに、もう片方は空欄だった子どもがいたという。しかし、よく見ると空欄のほうにも一度正しい数字を書いた跡があり、それが消しゴムで消されていた。

 なぜ、その子は正しい答えを消してしまったのか。著者が改めて問題を見ると、片方の欄には「(お手本の数字を)なぞろう」という指示があるが、もう一方の欄には(なぞる問題ではないため)特に指示がない。著者はそこから、「指示がなかったから、答えを書いてはいけないと思ったのではないか」と考えた。子どもなりに問題を読んで考えた末の判断だったのではないかと想像したのだ。

 そこで著者は、この解答にあえてマルをつけ、「本当はわかっていたんだよね」「書こうとしたことは伝わったよ」とメッセージを添えたという。

 ここで、この解答に対して「正解は◯◯だよ」などと、真正面からコメントしてしまっていたとすればどうだろう。「本当はわかっていたのに…」と、子どものやる気の芽を摘んでしまっていたかもしれない。

 このように「子どものがんばりを見逃さない」ことが、子どもの自信を育み、勉強を好きにさせるのだということを本書は教えてくれる。

(本記事は、佐村俊恵著・ベネッセ「進研ゼミ」監修『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた 赤ペン先生のほめ方』をもとに作成しました。)