完璧に整えられた食卓に憧れて自炊を始めたものの、かえって疲弊してしまう人は多い。実は、現代の家事において「ていねいさ」を追求することは、メンタルヘルスを削る危険な罠に他ならない。私たちが本当に目指すべきなのは、「ていねい」の呪縛を捨てること。文筆家・情報キュレーターの佐々木俊尚氏の新刊『人生を救う 名もなき料理』から一部を抜粋し、真面目な人ほど陥りやすい自炊の負のループから抜け出すヒントを探る。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

「真面目な人」ほど料理がつらくなる、たった1つの思い込みPhoto: Adobe Stock

「ていねい」に疲れて「時短」へ

 2000年代から2010年代にかけての日本は、とてもとてもたいへんな時代でもあった。この閉塞感が生み出した、とても逆説的な生活文化があった。それは「ていねいな暮らし」である。

 理不尽な仕事に忙殺され将来も不安だからこそ、せめて自分の居場所だけは自分のペースで心地良くしたいと思う気運が高まったのだ。

 ただ「ていねいな暮らし」は、あまりにも完璧に生活を設計しようとしすぎていたから息苦しさがあった。そういう無理矢理感があったから、忌避する人も多かっただろう。

 だからこの時期にはまったく真逆の「時短料理」や「作りおき料理」も盛り上がった。なんとも両極端である。

時短の裏にある「手作りの切なさ」

 時短料理じゃなく、コンビニやスーパーでもいいじゃないかという意見もありそうだ。お惣菜は進化し驚くほど美味しくなっていたからだ。

 しかし時短であってもあくまで「料理」にこだわりたかったのは、「手作りじゃないと家族に申し訳ない」というみんなの切ない思いがあったからではないかとわたしは受け止めている。

 このころ、時短料理とともにミールキットも人気になった。短い時間で作れるが、「食材そのものが美味しくて、オーガニックで安全性も高い」というのが売りだった。

ミールキットが実現した「誇れる時短」

 もうひとつ興味深いのは、ミールキットは「作る人のために、あえてひと手間残しておく」という設計を意識的に付与していた点だ。

 電子レンジでチンするだけで完了ではなく、料理をする人が少し手を加えた感を出せるようにしていることで「誇れる時短」を実現しているということなのだ。

「猛烈に忙しいけれど、暮らしは大事にしたい。家族のためにひと手間かけたい」という矛盾をうまく商品に取り入れ昇華させたということなのだろう。

 ブラック労働時代の家庭料理には、切なさがいっぱいだったのである。

「ていねい」を目指して挫折し、「時短」の義務感にも疲弊してしまう。真面目な人が陥るこのループから抜け出すには、完璧さを捨てる勇気こそが、心を病まないための第一歩なのだ。

(本記事は、書籍『人生を救う 名もなき料理』を抜粋・再編集したものです)

佐々木俊尚(ささき・としなお)
1961年生まれ、文筆家。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで縦横無尽に発信している。現在は東京・長野・福井の三拠点生活を送り、コロナ以後に注目されてきている移動生活の先駆者でもある。妻は、イラストレーターの松尾たいこさん。一緒に暮らし始めたときから、料理は全面的に担当。その毎日の食卓を織り交ぜつつ、手際のよい調理の仕方、献立の立て方などを紹介した著書『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)は、大きな話題を呼んだ。『人生を救う 名もなき料理』は、12年ぶりの料理関連の書き下ろしとなる。