2025年に社会に大きな衝撃を与えた「フジテレビ事件」と、それを受けた第三者委員会の調査報告書をきっかけに執筆された、『集団浅慮:「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』(古賀史健)。その出版を記念した対談が、ブックファースト新宿店で開催されました。ゲストは、『わたしたちは無痛恋愛がしたい』を連載する漫画家であり、「パブリックスピーカー」「フェミニスト」としても活動する瀧波ユカリ氏。お二人の対談の模様をダイジェストでお届けする全3回の最終回です。[構成/ダイヤモンド社 横田大樹]

ジェンダーギャップの根源
瀧波ユカリ(以下、瀧波):男女のジェンダーギャップや意識の違いについてですが、私はやっぱり、男と女で育てられ方が全然違うっていうことが大きいと思っていて。
「男は王侯貴族として大きく大きく育てられる。女の子は小さく小さく、奴隷になるように育てられる」という趣旨のことを田嶋陽子さんが本で書かれていて。
この言葉を普通の男の人が聞いたら、「えっ、そんなこと別になくない?」とか、「いや親から厳しくしつけられてきましたよ」ぐらいに思うと思うんです。でも、実際、男の子がわがままを許容され続けるのに対し、女の子は食事の片付けや姿勢ひとつをとっても「小さくさせられていく」過程が必ずあります。
瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)1980年札幌市に生まれ、釧路市で育つ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、2004年に4コマ漫画『臨死!!江古田ちゃん』でデビュー。以降、漫画とエッセイを中心に幅広い創作活動を展開している。東京都在住、一児の母。
古賀史健(以下、古賀):昔、精神科医の斎藤環さんにインタビューした時におっしゃってたんですけど、女性は育てられる段階で、男性と違って「身体的なしつけ」をものすごく受けると。たとえば、座る時は足を通しなさいと。この足を閉じて座るって、男性陣はほぼやったことないし、考えたこともないことだと思うんですよ。
で、斎藤環さんのお話によると、なぜそうした「身体的なしつけ」がなされるかいうと、すべては「男性の欲望の対象であれ」というメッセージなんですね。しかし一方で、精神的なところでは「清楚でありなさい」「自らの欲望を隠しなさい」と、欲望そのものを否定されるような教育もなされる。そんなダブルバインド(2つの矛盾するメッセージによる心的拘束)の中で、女性がものすごく苦しんで、うつ状態になったり摂食障害を起こしたりする。そういう身体的な制約って、男性は考えたことも想像したこともないんですよね。そこに自覚的になるっていうのはなかなか難しいと思います。
瀧波:うん。女子アナなんて本当にそうで。欲望させてはいけない、でも欲望させなさいと。ダブルバインドですよね。それに、そういう二重の批判が常に課されている人にとって、取引先から声をかけられた時にどう行動すればいいのか?というのは本当に難しいことだと思います。
古賀:はい、アナウンサーのなかでも、女性アナウンサーだけが接待に呼ばれることもある。
瀧波:そういう構造は、学校教育の段階ですでに仕組まれてますよね。たとえば中学生・高校生の時に、運動部の女子マネージャーとかが現れる。小学校にはないじゃないですか。中学、高校でどんどん男女の枠にはめられて。私の時代だったら、生徒会長は男の子になってしまったりとか。そういった役割分担が、家父長制的な価値観に繋がっていく。
古賀:そういう現状は、どう変えていくべきなんでしょうね。たとえば、学校教育の中でその仕組みを変えていくのか、あるいは、エンターテイメントとか本とかの部分で意識の変化を図っていくのか、どういう動きが一番必要だと思いますか?
瀧波:一番大切なのは、やはり男女半々にすることですよね。全部のところで。最近も記事を見たけど、学校の校長先生の割合は、諸外国に比べても日本は著しく女性の割合が低いと。
こういうことを言ったら、「今じゃ女性が首相じゃないか」とか言われそうですけれど、そこだけ変わって、ジダーギャップ指数がぐっと上がっても意味はないので。女性が首相になったからって、男性社会の番人になってるだけだったら意味がないんです。
古賀:『集団浅慮』の中で「トークン」という、象徴としての女性という概念が出てくるんですけど、今ビジネスの世界で言うと、やっぱり「取締役に女性が1人もいないのは良くない」っていう考えは大体みんな認識してるんですね。でも、じゃあどうするかというと、社外取締役として1人女性を入れようということになるんです。男性の取締役が10人いる中で、社外取締役で女性が1人いる。まさに「トークン」です。それで「俺たちダイバーシティやってるよ」っていう顔をするという変な構造がずっと続いていて。
でもそこで、男女の比率が本当に半々になっていった時、きっと風通しも良くなるはずだと思うんです。
世代交代を待たずに「今」できること
古賀:あともう1つは、女性管理職が増えていくと、今の若い人たちの絶望感が少し薄れるような気がするんですね。うちの会社の上のほうには男しかいないってなったら、若い女性社員の中で何かが損なわれると思いますし。
今回取材してる中で知ったんですが、今の学校の教育現場の人権教育って、かなり良くなってるんですよ。女性の人権であるとか、性的マイノリティの人権とか、ネット上での人権侵害にどう対処するのかとか、そういうところまで細かく教えていて、僕ら世代が受けてきた人権教育とは全然違うんです。あと、東京都では、「太郎くん」「花子ちゃん」っていう、「くん付け・ちゃん付け」を先生たちに禁止して、子どもたちに対して「さん付け」にしますっていう風に変わっている。
そういう、ある種真っ当なジェンダー観の教育を受けて育った若い人たちが会社に入った途端に、昭和の風を浴びるわけです。そこでくじけるものって、ものすごく多いだろうなと想像するんですよ。
今までやってきたこと、教えてもらったことが全部ひっくり返されて、結局社会に出てみたらオジサンとお爺さんが支配してるし、女の人なんてどこにもいないじゃん、って。
これはもう想像でしかないんですけど、そういう状況に立たされた時の女性たちの絶望っていうのは相当深いだろうなと思います。そのためにも一刻も早く、比率だけでもちゃんと整えていきたいなと思ってるんですけど。
瀧波:会社だけでなく、家庭生活においてもそうです。そういう女性が結婚することになった時に、自分と対等な存在として選んだはずのパートナーと、会社で女性が昇進するのが難しいとか、そういう話をした時に、「でも、しょうがないじゃん、そういう世の中だから」みたいな風に返される。ある種の集団浅慮状態に陥っている男性をパートナーとして選ばざるを得ないっていうところがまた第2の絶望ですね。
古賀:そういう構造的な問題に対して、「世代交代を待つしかない」と結論づける人が多いのですが、でも世代交代を待つことと、今何もしないっていうのは絶対イコールじゃないので。
瀧波:本当にそうですね。私たち自身が、最先端の価値観にバージョンアップされた大人にならなきゃいけないんです。18歳から「この人、年寄りなのにすげえ話通じる!」って思われたいじゃないですか。
古賀:それこそ世代交代を待つしかないっていうのは、責任洗浄の話だと思うんです。「団塊世代がいなくなったら世の中も変わるよ」って言ってる人たちって、「私は何もしませんけど」と表明しているのと同じなんですよね。
それは絶対に違うと思う。仮に1世代、2世代かかることだったとしても、今自分ができることっていうのはたくさんあるし、実際に今傷ついてる人たちがいっぱいいるわけなんで、それを何もせずに、世代が変わるの待つしかないよねっていうわけにはいかないんです。
瀧波:そういえば私、講演で、ミソジニーとか家父長性とかね、女性にすごく不利益が偏っているっていう話をした後に、男性に「こういう問題について、男性のあなたは何ができると思いますか」って聞く機会があったんですけど、みんな答えられないんです。
男性の自分は何ができるかって考えたことが多分なくて、2分ぐらいたったあと、「みんなで考えていけたらいいですね」って言ったりとか。他にも「僕が何かしても邪魔になるだけなので、僕は何もしないことにします」って言い切った人とかもいてびっくりしたり。あと、全然違う話を始めちゃったりとか。
マイノリティの問題って思われてることは本当はマジョリティの問題だから、「あなたに何ができるか?」っていう質問を私からもめっちゃしたいし、男性からもしてほしいですね。
女性の男性化を望む職場を変える方法(対談後の質疑応答より)
――今の私の部署はかなり男性比率が多いのですが、元々男性が多かったわけではなく、残ったのが男性だけだったという形です。1年働いて思うのは、女性が男性にならなければいけないという認識があり、奥さんがいる前提での朝から晩までの働き方であったり、結果を出せと言っているだけで実質的にパワハラ的な指導があったりします。仮に男女の比率を合わせたとしても、結局その女性に「男性化」を望んでいる印象がすごくあるのですが、そういった環境はどのように変えていけばいいのでしょうか?
古賀:それは『集団浅慮』の中でも書いた「同化」というものですね。男性の価値観に同化させるような長時間労働などの仕組みがあり、なおかつ家に帰ったらパートナーが「家事は女の仕事だろう」という態度を取っている。
会社の中では長時間労働以外にも、ゴルフや飲み会、喫煙室でのコミュニケーションが大事だったりして女性が参加しにくい環境があります。結果、一緒にゴルフに参加して「同化」していった女性管理職だけが評価される仕組みというのは、いろんな会社にまだまだ残っていると思います。
そこを変えていくには、女性比率を高めることがとても大切だと思っています。僕が知っている出版社でも、初の女性局長が生まれた途端、産休・育休周りの福利厚生がしっかりと取れるようになり、中途採用で女性の編集者がどんどん集まってくるようになったんですね。「あの会社は女性に優しいらしい」ということで。その結果、女性読者にちゃんと響く本ができるようになり、会社がすごく潤っていきました。
会社の人格そのものが変えるのはなかなか難しいので、女性の部長が1人ついたからといって部署が一変するわけではないかもしれません。ただ、道としてはやはりジェンダーバランスを整えていくというのが、今のところ僕が言えるところかなと思います。
瀧波:私も同じように思うのですが、労働の場所って、放っておくと成人健常男性の働き方になっちゃうんですよね。そこで排除されているのは女性だけでなく、健康でバリバリ働ける体を持っていない人たち、障害がある人や、年を取った人もそうです。定年が近づいてくる人が、30代、40代と同じように働き続けられるわけがないので、ものすごく無理をして働くことになります。
女性にとって働きにくいという話をすると「そういうもんだから」と言われがちですが、「それ以外にも、年を取った人も障害者もそうでしょ」と言うと、割と男の人はハッとするんですよね。
そういうところを伝えられたらいいなと思うのと同時に、やっぱり組織自体、働き方を決めることができる人たちがそこに自覚的である必要があるんですよね。
だから私、以前高市さんが「働いて働いて働いてまいります」みたいに言っているのを聞いた時、卒倒しそうになったんです。「それをあなたが言ってはダメじゃないですか」と。
総理公邸をパートナーのためにバリアフリーにした件でも、「税金は使ってないから安心してください」と言い訳するのではなく、「ここでバリアフリーにしました」と言えば、車椅子の人だって総理大臣になれるじゃないって思ったんです。
すごい時間が巻き戻った感じがしましたし、その論理を結局会社も使うようになってしまうので、もう本当にやめてくれって思いましたね。
古賀:今、仕事ができるとされている人たちは、みんな「体力オバケ」なんですよね。エリートで、健常者の男性たちが作った価値観の中でバリバリ働いて、ベンチャー企業でも「寝てる暇なんかねえよ」というのがかっこいい、というノリの人が多い。でも、ちゃんと休んで、社員の健康をどうやって整えていくのか。これも社長の大事な仕事です。体力オバケの社長や上司は「これくらい当たり前にできるじゃん」と自分が基準になってしまうので、立場を変えて考える視点や、瀧波さんが言われたような、「こういう風に考えてみたらわかるでしょ」という言葉を持てるかどうかがすごく大事だと思います。(おわり)



