心理学・感情の科学、そして経営学において、いま大きな注目を集めている「AWE(オー)」という概念があります。その世界的権威、ダッカー・ケルトナー(カリフォルニア大学バークレー校教授)による解説書『Awe: The New Science of Everyday Wonder and How It Can Transform Your Life』は、アダム・グラント、スティーブン・ピンカーというアメリカの知性を代表する2人も絶賛する決定版的な1冊です。
その日本語版となる『AWE 心と人生を変える力』が、ついに発売されました。翻訳を担ったのは、マッキンゼー・アンド・カンパニーやハーバード・ビジネス・スクール等を経て現在は華道家として活躍する山崎繭加氏と、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーにも選出された僧侶の松本紹圭氏です。経営・アート・宗教のバックグラウンドを持つ2人が、「AWE」の本質が日本の読者に伝わるよう、力を尽くしてくれました。
この連載では同書に関連するコンテンツを公開して「AWE」の秘密を紐解いていきます。今回は同書より、松本紹圭氏による「訳者あとがき」をお届けします。

水面の月Photo: Adobe Stock

バークレーの風、科学の静寂

 2023年、初夏の抜けるような青空の下、私はUCバークレーのキャンパスを歩いていました。

 大学のすぐそばにある浄土真宗センターから、最先端の心理学研究が行われる研究室まで、歩いてわずか数分。その距離の近さは、あたかも古の智慧と現代の科学が、地下水脈で繋がっていることを予感させるものでした。

 そこで待っていてくれたのが、心理学者のダッカー・ケルトナー教授でした。前日にカフェで言葉を交わした際、その温かくも鋭い眼差しに触れ、私はすでにケルトナー先生という存在そのものに一種のAWE(オー)を感じていました。彼の研究室を訪ねると、先生の教え子の起業家たちとも出会うことができました。シリコンバレーからテクノロジーで世界を切り拓こうとする彼らが、熱心にAWEについて語り合い、自らの人生の「かなしみ」や「驚異」を共有している。その光景は、AWEが決して高尚なものではなく、激動の時代を生き抜くための切実な生の手応えであることを物語っていました。

 ケルトナー先生との対話の中で、私はある確信を深めました。彼が科学の言葉で解き明かす「スモールセルフ(小さな自分)」は、私が僧侶として向き合ってきた仏教、特に親鸞聖人が説いた、自らのはからいを捨てる「他力」の地平と、深く重なり合っていることです。

 本書の日本語版が世に出るまでには、もう一つの大切な対話がありました。共訳者である山崎繭加さんとのプロセスです。翻訳の実務の大半を担ってくれたのは山崎さんでしたが、彼女が紡ぎ出す言葉の一つひとつを巡って、私たちは幾度となく議論を重ねました。

「ここは単なる『驚き』ではなく、もっと足元が崩れるような感覚ではないか」
「この『畏怖』には、恐れよりも悦びに近い響きがあるのではないか」

 それは翻訳作業というより、未知の深い森を共に探索するような時間でした。山崎さんが感じ取った何かしらの兆しに、私が仏教視点からの補助線を引く。そのやり取り自体が、私にとっては「自分の理解を超えた広大な神秘」に触れる、豊かなAWEの体験でした。

AWEは「向こう側」からやってくる

 本書を日本語に翻訳するにあたって、山崎さんと最も時間をかけて議論したのは、「AWE」という言葉をどう訳すか、ということでした。畏怖、畏敬、あるいは驚異。どの言葉も、この多層的な感情の一側面を言い当ててはいても、その全体像を捉えきれないもどかしさが残ります。

 最終的には「AWE(オー)」としたわけですが、実はその試行錯誤の中で、私の脳裏には仏教、特に浄土教の伝統が大切にしてきた言葉がいくつか浮かんでいました。

 一つは、親鸞聖人が説いた「信(しん)」という言葉です。現代の私たちは「信じる」というと、自分が主体となって何かを強く確信する、能動的な行為だと考えがちです。しかし、親鸞における「信」とは、私が相手を信じることではありません。それは「疑いなき心」であり、自らの小さな主体性を超えた先にある「明け渡し」の感覚です。

 ケルトナー先生は、AWEを「自らの理解を超えた偉大なものに遭遇したとき、自分のちっぽけさに気付かされる感覚」と定義しました。この「自分のちっぽけさ」に気づくことと、自らの計らいを捨てて大きなはたらきに身を委ねる「信」のありようは、とても似通っています。どちらも、強固な「私」という枠組みが揺らぎ、溶け出していく体験です。

 親鸞の師である法然上人は、この様子を美しい比喩で語っています。「月は天上にあって高く、水は地上にあって低くとも、水が静かであれば、その距離がどれほど遠くても、月は如実(ありのまま)にその影を水面に映す」。空に浮かぶ巨大な月(大いなるもの)と、地上の小さな水たまり(私)。その両者が、静寂の中でフッと合致する瞬間。これこそが、まさにAWEが立ち現れる心的様相ではないでしょうか。

 AWEとは、私が作り出すものではなく、向こう側からやってきて、私に宿るものです。本書で語られるAWEは、決して特別な修行者や聖者だけに許された体験ではありません。それは、日々の掃除や、誰かとの何気ない会話、あるいは身近な人の死という深い「かなしみ」のなかにも、月の光のように静かに、しかし確実にはたらきかけてくるものです。

「可謬性」という恩寵

 向こう側からやってくるAWEを受け取るために、私たち人間に備わった器は何でしょうか。私はそれを、「可謬性(かびゅうせい)」、すなわち「人間は間違えることができる」という可能性に見出せるのではないかと考えます。

 親鸞は、自分の賢さや正しさを誇るのではなく、救いようのない不完全な存在としての「凡夫(ぼんぶ)」を自覚することの中に、真の救いを見出しました。AWEもまた、私たちが「すべてをコントロールできる」という傲慢さを手放し、世界という計り知れない神秘の前に、素直な心で静かに佇むときに訪れます。

 私たちは普段、間違いを、避けるべきものと考えがちです。しかし、そもそも「なぜ人間は間違えることができるのか」と問うてみると、どうでしょう。

 現代のAI(人工知能)は、過去の膨大なデータを計算し、最も確率の高い「正解」を導き出します。人間はこれまでの論理を軽々と逸脱し、予測を裏切り、不合理な失敗を仕でかします。私たちの身体も誤作動を起こします。そして、AIも同様に、想定外の誤ちを出力することが度々あります(ハルシネーション)。仏教には「カルマ(業)」という言葉がありますが、これは単なる宿命ではなく、私たちが無意識に積み上げてきた「行動のパターン」を指します。

 実は、私たちの生の99%は、このカルマという自動化されたパターンによって営まれています。この回路は、脳科学で「デフォルトモードネットワーク(DMN)」と呼ばれているようですが、これは情報の整理やひらめきの源泉となる一方で、放っておくと自意識の檻となり、ともすればセンス・オブ・ワンダーを遮ってしまいます。もし人生が100%のパターンだけで塗り固められていたなら、そこに新しい風が吹く余地はありません。しかし、ふとした瞬間に、この強固なパターンが崩れることがあります。真面目な会議中に自宅の猫が画面を横切るようなハプニングや、思わぬ言い間違い。それらは論理的にはエラーですが、その1%の揺らぎこそが、凝り固まった日常に新しい現実を生成するための隙間を作ります。

 その時、私たちは「ああ、私は揺らぎの存在だった」という解放感とともに、自分の小ささと、新鮮な現実、それを包み込む世界のユーモアに気づかされます。この不完全さを受け入れる隙こそが、AWEを受け取るための器となるのです。

 親鸞が自らを「凡夫」すなわち不完全な人間と自覚したのも、まさにこの地平でした。浄土真宗では、自らを凡夫と真に自覚できたとき、その人はすでに大きな慈悲の光に出遇っていると考えます。真っ暗闇の中では、自分の姿も、そこが闇であることさえも分かりません。眩い光に照らされて初めて、自らの影の濃さを知り、自分が闇の中にいたことに気づく。つまり「私は間違える存在(凡夫)である」という痛切な自覚は、実は私たちがすでに、自分を超えた大きなはたらきに包まれていることの証左にほかなりません。

 科学が解き明かすAWEもまた、ちっぽけな自分を自覚する瞬間、私たちが巨大な宇宙の連なりの一部であることを教えてくれます。「正解」という氷の表面を滑るような生き方から降り、泥臭い不完全さの中に身を置くとき、初めて他力という名のAWEが流れ込んできます。完璧なものに畏怖を感じるのではなく、私たちの「間違えることができる」という恩寵に気づくこと。その不完全さの隙間にこそ、真の驚異は宿るのです。

ドアを開けて、世界を探索してみよう

 私たちは今、かつてない分断と不確実性の時代を生きています。計画通りに進まない未来を前に、不安に駆られることもあるでしょう。

 しかし、ケルトナー先生が本書で示した膨大な科学的知見と個人的な探究は、私たちに一つの視座を与えてくれます。それは、「AWEに開かれることは、世界を信頼することである」というメッセージです。

 この本は、単なる知識の集積ではありません。あなたが今日、一歩外へ踏み出し、空を見上げ、あるいは誰かの勇気ある行動に心を震わせるための手引きです。

 2026年、そしてその先へ。私たちが「正解」を求めるのをやめ、自らの「可謬性」を抱えたまま、この広大な宇宙の神秘に身を委ねることができたなら、世界はもっとおのずから、AWEに満ちた姿を見せてくれるはずです。

 最後になりましたが、この探究の旅を共にしてくれた山崎繭加さん、ダイヤモンド社の編集チーム、そして、UCバークレーで温かく迎えてくれたダッカー・ケルトナー教授に、深い敬意と感謝を捧げます。

 さあ、ドアを開けて、世界を探索してみましょう。そこにあるAWEに、耳を澄ませて。