さらに言えば、長引く経済制裁によってイランの国内経済は疲弊しきっている。将来的な制裁解除や経済復興を見据えた時、高度な技術力と経済力を持つ日本とのパイプを完全に絶つことは、イランにとってあまりにも不利益が大きい。表面的な政治的対立を超えた次元で、イランは日本という国を戦略的に確保しておきたいのだ。
しかし、そのしたたかな外交カードを成り立たせている大前提こそが、日本とイランの間に存在する「特別な歴史的経緯」である。
過去の記憶が単なる歴史の1ページではなく、現代の危機において極めて現実的な信頼の担保として機能しているのだ。
その歴史的経緯の中心にいるのが、出光興産の創業者であり、ベストセラー小説『海賊と呼ばれた男』の主人公のモデルとなった出光佐三氏(1885-1981)である。
「日章丸事件」が象徴する日本とイランの関係
イランの人々が日本に対して特別な信頼と親日感情を抱いている原点には、1953年に起きた「日章丸事件」があると言われることがある。奇しくも当時の状況は、現代のホルムズ海峡危機と不気味なほど重なる。
当時、イランは自国の石油を不当に独占搾取していたイギリスの企業から権益を取り戻すため、正当な権利として石油の国有化を宣言した。
これに激怒したイギリスは、強力な海軍を派遣してペルシャ湾を軍艦で封鎖し、世界中を威圧した。巨大石油企業(国際石油カルテル)もそれに同調し、イラン経済は完全に孤立し、人々は窒息状態にあった。
そんな状況下で、イギリスの圧倒的な武力と圧力に屈せずイランに手を差し伸べたのが、日本の民間企業である出光興産だった。
なぜ出光佐三氏は、会社が潰れる危険や命のリスクを冒してまで船を出したのか。
当時、出光興産は世界の巨大な石油カルテルから強烈な圧迫を受け、国内でも外資系資本に牛耳られ「12社対1社」という絶望的な包囲網の中で叩き潰されそうになっていたという。自国の中ですら自由な商売が許されない不条理である。
出光氏は自身の手記の中で、当時の生々しい苦境をこう振り返っている。
《出光としてはまずいが節を曲げないで闘かったので非常な苦境に陥った。それで最後には製品を出光に売るなという格好になってしまった。そして苦しんでいるところヘイランがぽこっと出てきた》(日本経済新聞『私の履歴書』(9)戦後の石油市場 1956年7月19〜28日に掲載)







