「昔、ヤクザ者の女になるのは宿場女郎と決まっていた。細木も戦後のあの時代、どん底をくぐってきた女ですから、小金井一家総長の堀尾昌志とはそれこそキズを舐め合うように生きてきたわけ」
というのは細木と同世代の女性である。
細木は堀尾昌志とは30年余関係を続けてきた。が、堀尾とは籍を入れず、関係にもその時々濃淡があったらしい。たとえば細木が島倉千代子の興行権を握った1977年ごろから3年間は関係が冷えたし、1980年ごろには堀尾から別れ話を持ち出されたと細木は自著に記している。
歌舞伎町ホストに
貢ぎまくる
細木は50歳のとき自らの肥満体を雑誌のグラビアで披露した自己愛と錯視の人である。
しかも巷間伝わるところでは新宿・歌舞伎町のホストクラブ一部(19時半から翌日1時の営業)のナンバーワンホストKと男女の関係にあったとされる。
Kは30代半ば。身長約175センチ。郷ひろみに似た男前(整形ずみともっぱらの噂)で機転が利く。自称大卒。月の売り上げは細木を含め4~5名の客しか抱えていなかったが、800万~1000万円で、うち半分以上が細木の売り上げだった。
父親は大工で、Kは親に家をプレゼントしたと吹聴していた。
かつて同店に勤務していた元ホストが語る。
「細木がうちに来るようになったのは5~6年前のこと。週に4~5日のペースで来ていた。当初はRというホストを気に入っていた。Rは細木から300万円ほどの車をもらったことがある。もっともその後200万円は返している。
細木はRからKに乗り換えた。Kは『車は要りません。そのかわり店に来て下さい』と言って、細木に惚れられた。Kにはぞっこんで、Kに会うため、一人で来店することも多々あった。
2人は店内でも堂々といちゃつき、目をそらしたくなるようなときもあった。Kは彼女を『先生』と呼び、細木は『K』と呼び捨てだった。2人は一部の営業が終わる午前1時くらいに一緒に帰ることが多かった。おそらくKのマンションに行ったと思う。
細木は気前がよく、ロマネコンティなど高額の酒をばんばん頼む。支払いが30万~40万円のときもあったが、多い日には500万円は使った。
一度、Kの売り上げを妬っかんだ同僚のホストが、『調子に乗ってんじゃねえ』と、Kを締めたことがあった。そのとき細木がヤクザを連れて来店し、そのヤクザがKを締めたホストを締め上げた。細木は、傍からその様子を得意そうに眺めていた。
Kは昨年春、店を辞めた。同時に細木さんは店にまったく来なくなった。彼女がKを辞めさせたとも言える。細木がKを辞めさせて、京都で自分の事業を手伝わせている」
『細木数子 魔女の履歴書 新装版』(溝口敦、講談社)
細木はカネにあかせてKを囲ったとみえる。68歳である。細木が誰とどういう形で恋愛しようと勝手だが、少なくとも審美的でない関係とはいえる。カネで男を買う女が姑や舅の代弁で若い女を叱り飛ばす――。68歳の女が入れ揚げた末の鞘当て、若い男をめぐる世代間戦争の可能性なしとしない。
ところで歴代首相の指南役、安岡正篤(編集部注/85歳の時に細木と知り合い同棲。細木が婚姻届を提出したが、後に婚姻無効となった)が1983年に亡くなったとき、門弟の一人は一句ものしたという。
「巨星墜ち 牝ギツネ走り 枯れ野原」
細木という牝ギツネは依然、尾をなびかせ、枯れ野を走っている。細木が走るから世は枯れ野になるのか、枯れ野の社会が細木を走らせるのか。細木は時代の持つ低俗性の象徴である。







