ピカソの絵と子どもの絵の
決定的な違い
子どもが描く絵を見て、驚くほど魅力的だと感じたことはないでしょうか。その瞬間、その絵に引き込まれ、自由奔放な表現力や純粋な創造性に感動させられます。しかし、彼らが描いた絵にはこれまで値段がつくことはほぼありませんでした。
一方、似たような絵であっても、それがもしピカソが描いたものであるならば、その作品には何千万円、何億円という価格がつくことでしょう。
なぜ、このような極端な価格差が生まれてしまうのでしょうか?それは、子どもが描いた絵は一過性、偶然性の賜物であり、同様のクオリティの作品をその後も安定的につくり出すことができないからです。それがプロとアマチュアの違いです。
職業画家は、一見、「子どもの落書きのような絵」を確かな意志を持って再生産できるのです。ピカソであれば、同様の作風で何度も再現できるし、それらの作品は安定的に流通するでしょう。マーケットは“再現性”という点に価値を見出しているわけです。
『芸術の価値とは何か AIが奪い尽くすからこそ、アートに“解”がある』(秋元雄史、中央公論新社)
この安定した生産、流通を支えているのが評論家や美術館といった美術業界の諸制度です。たとえば、道端にピカソが描いた子どもの落書きのような絵が落ちていたとしても、誰も気づかないし、正しく評価できないかもしれません。確かにピカソが描き、その作品には×××という点で価値がある、ということを評論家が鑑定し、美術館やギャラリーがそれを保証することによって、はじめてマーケットで価格がつき、コレクターたちもその価格を見て安心して取引に参加できるようになるのです。
私たちは時に、アートが与える純粋な感動を、その背景にあるシステムと切り離して語りたくなるものです。しかし、ピカソの絵を「ピカソの絵」として認識し評価できるのは、美術館やマーケットといった社会的な枠組みがあるからです。
もしこれが、無名の作家の絵や、子どもの絵だったら、同じように扱うことは難しいでしょう。価値を保証するためには、個人の感覚を超えた仕組みが必要であり、それらが折り重なって重層化されていることが重要なのです。それが美術界の魅力であり、難しさでもあります。







