日本でも大きな話題を呼んだダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』。その中で物議を醸したのが「最後の晩餐」の解釈だ。キリストの右隣に座っている人物を従来の弟子ヨハネではなく、マグダラのマリアだと解釈したのだ。何故作者であるダン・ブラウンはその解釈を選んだのか?「最後の晩餐」に隠された謎に美術研究者・岡田温司氏が迫る。※本稿は、岡田温司『キリストと性:西洋美術の想像力と多様性』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
『ダ・ヴィンチ・コード』で
物議を醸したある“解釈”とは?
日本でもベストセラーとなり、その映画もまた大ヒットしたダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』(2003年)はまだ皆さんの記憶に新しいところだろう。
この推理小説で重要な鍵を握るのが、ルネサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の描いたフレスコ画《最後の晩餐》(1495-98年、ミラノ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)である。
なかでも話題となり物議をかもしたのは、死を覚悟して弟子たちと最後の食事をとる画面真ん中イエスのすぐ右隣にいる、若くて色白で柔和な表情をした弟子の解釈をめぐってである(1-1)。この弟子は通常は使徒にして福音書記者のヨハネとされているのだが、小説では女使徒のマグダラのマリアとみなされているのだ。
聖書のなかでは、マグダラのマリアは最後の晩餐に参加しているわけではないので、もしダン・ブラウンの推察どおりだとすると、ヨハネが女性の姿に置き換えられていることになる。たしかに、青色の1枚布の外衣にピンク色のヴェールを羽織ったこの使徒は、他の11人の使徒とは違って、女性にも見紛うような甘い表情と出で立ちをしている。