
天狗とは何か
この回、急に多用されるりんの横目が気になる。りんを演じる見上愛は大河ドラマ『光る君へ』(24年)では彰子という高貴な姫君的な役がお似合いだった。彰子は伏し目がちでそれが神秘性を帯びていたが、りんの横目は斜に構えたように感じてしまう。間違えを正したい人らしくないが、実は性格がキツそうな直美はまっすぐで、りんは何事も疑ってかかる性分としての横目なのだと考えておこうと思う。
先生は教室から出ていく。慌てて追いかける7人。たどりついたのは教員宿舎で、そこで、きびきびと白いエプロンをかける。
はじまったのはベッドメイキングの実技であった。
ベッドのシーツをかける見本を見せた先生は、7人にやってみるように促す。
まず窓を開け、シーツをはがし、真新しくピシッと畳まれたシーツを順番に広げて敷き、裾をベッドにはさむ。
おおかたの予想どおり、7人はそれぞれ、「This is not nursing」(これは看護ではありません)」と言われてしまう。
「何が看護なんでしょう?」
「自分で考えなさい」
厳しい先生に直美は「天の使いじゃなくて、やっぱり天狗だね」。
お仕事ものの典型的な展開だ。新人が研修で先輩から具体的に教えてもらえず、その背中を見て学ぶというもの。修業とはたいていそういうもの。ああしてこうしてと教わるものではなく、自分でよく見て考えるものだ。ということは看護が観察であるという意味とつながっている。
先生の動作をよく観察し、その動きがなんのために行われているか洞察する。これが、看護のいろは(very Alphabet)のAなのだろう。
直美が言う「天狗」だが、天狗とはそんなに悪いイメージだろうか。
最近だと『鬼滅の刃』の鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)を思い出す。鬼殺隊員の候補となる剣士を育てている人物が天狗の面をつけている。バーンズ先生は看護婦を育てる役割なので、『風、薫る』における鱗滝左近次のようなものと認識しておきたい。
直美は、当然『鬼滅』を知らないので、鼻が高く威張っているという意味合いで「天狗」と呼んでいるのかなと思われる。
天狗は、高僧が堕落した姿とも言われていて、直美がそういう話に詳しければ、天から堕ちてきた人という意味で、キリスト教ではサタン的な存在と位置づけようとしているとも考えられる。







