助けを求められるか否かは
組織文化の問題も
まずいちばん大きいのは、仕事に向き合う姿勢が能動的で、一生懸命取り組んでいるかどうかです。要するに必死でやっている人が困っていれば、「手伝いましょうか?」と自然と声がかかりやすいというわけです。
逆に受け身で指示待ちの人には、困っていても声がかかりにくい。これは改めて自分の周囲を見渡してみれば、多くの人が実感を持てると思います。
その人が優秀かどうか、要領が良いか悪いかは関係ありません。必死に取り組んでいる姿そのものが、周囲の助力を引き寄せるのです。仕事に情熱が感じられない人が困っていても、「自業自得だな……」「いつまでも先送りしているからそうなるんだ」と、距離を取って見られてしまいます。
次に逆説的ですが、自分から「助けて」と言えるかどうか。これも決定的に大きいです。意外と人間は、他人を助けるのが嫌いではない人が多い。もし気後れして言い出せないなら、勇気を出してみることです。
ただし、自分から助けを求められるのは個人の資質だけではなく、組織文化の問題が大きく影響します。出世競争が非常に激しい組織や、失敗を他人に見せにくい高度なプロフェッショナル集団では「助けてください」とはなかなか言えないでしょう。
弱みを見せたら付け込まれかねない、そんな雰囲気の組織で本音は吐けません。
仲間に対する安心感や、組織のビジョンや目標への一体感。そういった土台があって初めて、人は「助けて」と声を上げられます。「助けて」と言える組織は素晴らしい。チームや組織のリーダーは、そういう文化を自分たちでつくっていく必要があります。
助ける助けないも
損得勘定
普段から人を助けている人は、自分が困ったときにも助けてもらいやすい。これは間違いありません。
すべてギブ&テイクや報恩の法則で説明できるとは思いませんが、自分が苦しいときに手を差し伸べてもらった経験があれば、その相手が困っているときに「ちょっと話を聞いてみようか」「何か手伝えることはないか」と自然に思うようになる。これは人間として、ごく普通の感情です。
日常的に「どうした、困ってない?」「忙しそうですね、手伝いましょうか」という声かけがメンバー間で交わされている組織は強い。いろいろな要素がそろわないとこうした文化は生まれません。その出発点は一人ひとりの小さな行動にあります。
ただし、ここで難しいのは、会社という場所がそもそも損得で動く世界であることです。資本主義社会の最小単位である会社は、目先の損得で人が動くのが当然の仕組みになっています。
だから「助けるか、助けないか」も、つい損得勘定の延長で考えてしまいがちです。「あいつに貸しをつくっておくか」「ここで助けても見返りがなさそうだ」と、頭の中で計算が走るわけです。
しかし本当に助け合える関係を築くには、その損得を一度超えて動く必要があります。短期的には得にならない、むしろ損になるかもしれないけれど、まず自分から差し出してみる。その姿勢をちゃんと見ている人は、自分が困ったときに手を差し伸べてくれる。
社会全体を俯瞰して見ても、世の中のためにみんなが分に応じて少しずつ「持ち出し」をしているからこそ、社会は成り立っています。その典型が税金と再分配であり、個人のボランティア参加による貢献もそうでしょう。
そこにフリーライドしようとする人間は、結局は淘汰されていきます。会社の中でも同じで、フリーライダーは長い目で見れば村八分になっていきます。
組織のため、仲間のために、何がしかの持ち出しをしている人。そういう人こそが助けてもらえるし、ゆくゆくは会社という小さな社会のリーダーになっていくと思います。
もし誰も助けてくれない、冷たい組織だと感じている人がいたら、まず自分が誰かを助けたことがあるか、振り返ってみるべきです。
一番よくないのは「してもらって当たり前」という意識です。これは冒頭の受け身か能動的かの話にもつながっていて、受け身の人はやってもらっても感謝の言葉が出てきません。これでは誰も助けようとは思わないでしょう。
逆に能動的に自分の道を切り開こうとしている人は、ちょっとしたサポートでもありがたいと感じるので、「ありがとうございます」と自然に感謝の言葉が出てきます。
とくに新人や若手は、最初は型をつくるところから入るとよいと思います。誰かに何かしてもらったら、まずは「ありがとうございます」と感謝を伝える習慣をつくる。そのうち、本当にありがたいことだと感じるようになり、自分のスタンスも変わっていく。型から先に入って、後から理解が追い付くわけです。
使う言葉がその人の人格をつくる側面もあるので、「ありがとう」という前向きな言葉を習慣づければ、それにふさわしい人にもなっていくでしょう。







