ジェンダーと
「頭がいい」の関係
では、男性に「頭のよさ」が求められたのであれば、女性に何が求められたのか?
端的に言うと「あざとさ」、もしくは「受け身であるための知性」だと私は捉えています。
「モテ」や「愛され」の次に来た「あざとかわいい」ブームは異性に好意を持ってもらい、選ばれるための計算されたメイクやファッション、言動を指します。守ってあげたくなるようなかわいらしさをアピールしつつ、実は男性を上手くコントロールする。
この生存戦略に沿って考えるのであれば、男=頭がいい人、女=頭が悪い(ように見せられる)人、という構図は見事に既存のジェンダー規範にマッチしていたのでしょう。
つまり、「頭がいい」ことが与える印象と評価は、性別によって真逆と言っていいほどに異なっていたのです。
ちなみに、1978年に刊行されてベストセラーになった本に、『知的悪女のすすめ』という女性の生き方を描いたエッセイ集があります。
同書は当時流行していた「知的○○」というキーワードにちなんでつけたタイトルだそう。「知的」と「女」を合体させようとすると、なぜか「知的“悪”女」になってしまう発想は、いまの時代から振り返るとなんとも複雑です。
しかし、2020年代に突入した現在、その様相もどうやらすっかり変化してきているようです。共働き家庭がスタンダードとなり、マッチングアプリの出会いが急増した昨今は、男性も「自立した女性」を好む傾向が急増しているという調査もあります。
マッチングアプリのフィルタリング機能を使えば、理想のタイプに求める条件を絞り込めますから、これまで「選ばれる側」に置かれてきた女性自身も「主体的」に「選ぶ側」に回りやすくなった、という側面もあるかもしれません。
その上で、どうせスペックをもとに選ぶのであれば、「頭が悪い人」よりは「頭がいい人」をパートナーにしたい、と無意識的に求めるのは自然なことなのでしょう。







