つまり、「子育てが下手だった」という言葉で、自分の生活や人格の大部分を作り上げた子ども時代をリコールされたような気分になったからである。

子どもを「自分の作品」と
捉えていないか

「育て方が下手だった」という言葉ほど、子どもにとって残酷な台詞はない。

 今や筆者も2児の父。

 子を育てる前は「自分のような人間が子どもを持てば、必ずその子に悪影響を及ぼすに違いない」と憂鬱だった。

 言ってみれば、筆者の人生は変な色のシャツ。一緒に洗濯したら、自分の人生を「色移り」させてしまうのではないかと不安だったのだ。

 加えて、これまで生きてきて「家族」というものに良い思いを持った試しがない。

「色移り」を恐れる気持ちはかなり深刻で、長女が小学4年生になるまで、芸人であるという事実すら頑なに隠していたほどである。

 それでもやはり筆者は、娘に対して「悪い育て方をしているかもしれない」と嘆いたり、そんな不安を娘に見せるようなことは、できればしたくないと思っている。

 親の育て方如何で子どもの人生が決まってしまう面もあるにはあるだろうが、何だか子どもを「自分の作品」と捉えているようで、傲慢な気がしてしまう。

 子どもは、親に言われたことを全て、素直に受け入れて行動するわけではない。学校や友人関係を通して、親のあずかり知らぬところで成長や気づきを重ねていくのが、むしろ健全な発達というもの。お釈迦様が孫悟空を手のひらから逃げられなくしたように、子どもをコントロールしようとするのはおこがましいと気が引けるのだ。

自分の落ち度のように言いつつ
子を否定している

 不登校になった子どもを見て「育て方が悪かった」。

 仕事が続かず無職になった子どもを見て「育て方が悪かった」。

『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』書影僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(山田ルイ53世、大和書房)

 罪を犯した子どもに対して「育て方が悪かった」。

 全て、育て方というよりも、育った結果、子どもがやらかしたことに対してのコメントのように思える。昔はヤンチャで手がつけられなかったけど、現在は社会的に賞賛を受けるような人生を歩む人に対して「育て方が悪かったかもしれない……」と悩むことはあまりないだろう。

「私の育て方が悪かった」と自分側の落ち度のように言いつつも、実際のところは、子ども側の過去と現在を否定している。こんな一家心中のような「自虐」もない。

 育て方が悪かったのか……と悩む保護者の皆様におかれましては、ぜひ、その言葉を思っていても口には出さないでいただきたい。子ども側がどのように理解を示したとしても、少なからず、子どもの持つ、親に対する信頼を損ねる結果につながると思うからである。