ホンダ創業者・本田宗一郎氏ホンダ創業者・本田宗一郎 Photo:SANKEI

ホンダ創業者・本田宗一郎の遊び場は、銀座のクラブではなく花街・湯島の小さな料亭で、足しげく通っていたという。だが、ある出来事をきっかけに、その店から足が遠のいてしまう。昭和の実業家たちを惹きつけた花街文化を手がかりに、一流のおもてなしの本質に迫る。※本稿は、本橋信宏『花街アンダーグラウンド』(駒草出版)の一部を抜粋・編集したものです。

元日テレ名物プロデューサーの父が
パチンコ屋からホンダ販売店になったワケ

「親父はけっこう商売がうまくいっていて、顧客や販売店の接待に向島を使っていました」

 吉川圭三が語りだした。元日本テレビプロデューサーであり、KADOKAWA、ドワンゴを経て、現在はマウナ・ケアという映像プロデュース会社代表を務める。『世界まる見え!テレビ特捜部』『特命リサーチ200X』『1億人の大質問!?笑ってコラえて』『恋のから騒ぎ』等々ヒット番組を連発、視聴率競争でフジテレビの後塵を拝していた日テレを第1位に押し上げた功労者の一人である。番組をとおして、ビートたけし、明石家さんま、所ジョージと親交を持つ。

「親父の最初の商売は闇屋ですね。祖父の代から湯島でハイヤー会社を興したんですが、東京大空襲ですべて失って、無一文になって戦後は闇屋でお金を儲けてました。うちの親父は人付き合いも多かったので、北海道でやかんが足りないらしいぞと聞くと仲間とトラックに積んで売ってみたり、山陰に注射針がないと聞くと、仕入れてそこにまたトラックでいって売っていたんですね。儲けたカネで今度はパチンコ屋を開いたりして弟2人を大学まで出したんです。そのうちに自動車販売まで手を伸ばすようになりました」