田中角栄のタニマチは
神楽坂最大の置屋だった

 山科薫は神楽坂の辻邸で後の闇将軍と何度も会い、権力者の素顔を見てきた。

「私は角さんが総理大臣になるまで、ずっと角さんの正妻は辻和子おばさんだと思っていましたからね。祐と京の二人も田中姓だったし。実はお妾さんだったとは思いませんでした」

 辻和子の甥、山科薫が証言した。

 辻和子の養母、辻むらが切り盛りしていた金満津は神楽坂最大の置屋だった。当時、神楽坂は600人以上の芸者が集まる花街であり、金満津は神楽坂の置屋組合長だった。金満津には常に10人前後の芸者が住み込み、ほかにも女中が3人いた。

 金満津の裏方は小倉みつ、愛称おみっちゃんが仕切っていた。

 おみっちゃんは13歳で金満津に奉公に出された。花街には信仰・迷信を強く信じる風習があり、なかでも丙午に生まれた女児は気性が荒く、男に災いをもたらすという迷信から、おみっちゃんのように花街に奉公に出された丙午生まれが多かった。

「神楽坂の辻さんの家にいくと、おみっちゃんはいつもいましたよ。

 辻和子と目白の田中角栄の本妻さんは交流があって、仲も悪くなかったんです。田中眞紀子さんの七五三の着付けも辻さんの金満津でやって、辻和子と養母の辻むら、あと何人かの芸者さんが田中眞紀子さんに着付けをしてあげて、お祝いをやったんだから。

 向こうの本妻もくるわけだから、ほんとに奥さんが2人いてって感じだったわけですよ。奥さん(本妻)の父親が(角栄と辻和子の仲を)認めてるから。愛人を持つことを。田中角栄の本妻は病弱だったから、うちの娘の面倒を見てくれ、その代わりにもう1つ家族をつくるのはいいからと。跡継ぎをつくってくれたら、ほかに家庭を持つことはOKだと。

 辻むらが田中角栄のタニマチになって、角さんが政治家になりたいっていうから、それだったら『わたしのいうことを聞きなさい』って、育て上げて、コネをつくって、金を用意してあげたわけ。最初は辻むらさんが田中さんのタニマチだったから、金の流れが逆だったの。金満津の儲けを田中さんの政治資金にしてあげてた。金満津の辻むらといえば、おっかないから。田中角栄も辻むらには『はい!はい!』ってなってたし」

「まさに田中角栄の成り上がり人生双六の振り出しだったんだね」

和睦の天才・田中角栄は
辻むらで帝王学を学んだ

「そうそう。あとね、戦争で神楽坂の置屋とか待合が焼けちゃって、復興するのに田中土建が請け負って建築してたから。だから、お互いに持ちつ持たれつだった。そのあとに、円弥がほしいということになった。辻むらさんは歴史にとても詳しくて、角栄が政治家になりたかったら、日本の歴史を学ばなければだめよって、辻むらにいわれたんですよ。辻むらは田中さんに豊臣秀吉のことをすごく叩き込んでた。

『花街アンダーグラウンド』書影花街アンダーグラウンド』(本橋信宏、駒草出版)

 この前、田中角栄を政治の師と仰ぐ石破茂がいってたんだけど、田中角栄は敵はつくらない。すべて和睦でやるって。豊臣秀吉も相手を叩きのめさないで味方にする、和睦して仲間にするやり方。田中さんはそれを学んでる」

「辻むらさんが帝王学を授けた」

「そうそう。石破茂が田中角栄は和睦の天才だっていってるわけ。あと、織田信長は今川義元と桶狭間で戦ってるじゃない。そのとき、徳川家康は今川家の人質だったんだけど、桶狭間のときは今川義元について戦ってるんだよね。桶狭間で戦ってるんじゃなくて、付属するどこかの戦いで、織田軍をぶちのめしてる。だから織田にとっては、家臣を何人殺されてるかわからないんだけど。徳川家康をつぶしたらダメだっていうことで、ヘッドハンティングしてるわけよ。そのやり方って田中さんのやり方ですよ」