神田は日を改めて実弟の功、義弟の高橋を連れて、大宮駅東口から大きな群れを作って階段を上って行くサラリーマンの通勤風景を見せた。

「時代は変わった!これからは飲食業界の時代がやって来る。3人で力を合わせて『来来軒』を経営して行けば、10店舗、20店舗のチェーンができる」(神田)

 と、神田は2人の弟に話した。

チェーン化が遅れた
ラーメン業界に商機

 日本の飲食業界の中で企業化、チェーン化が遅れたのがラーメン、そば、うどんなど麺類業界であった。その中でも最もチェーン化が遅れたのが、屋台・生業店・家業店が全体の9割を占めて、日本独自の発展の仕方をしたラーメン業界であった。

 1970年代のラーメン業界の営業形態はおおよそ次のようなものだった。

「屋台ラーメン」(5~8席、移動式・夜間営業)
「生業店」(10坪以下、カウンター中心で15席前後、夫婦経営)
「家業店(10~20坪、25席前後。家族+アルバイト)
「本格中国高級料理店」(ホテル、横浜中華街など)
「チェーン展開」(どさん子、幸楽苑など)

 ラーメン業界は、生き残りのために伝統的な職人の徒弟制度を重視した。例えば6~12時間かけて作る“秘伝のスープ”は門外不出で、一家相伝の世界である。このため標準化を拒否し、のれん分けによる多店舗化を進めてきた。

 しかしながら後発でラーメン業界に飛び込み、ラーメン屋の企業化、チェーン化を推進したいと思った神田にとって、業界のチェーン化の遅れは大きなビジネスチャンスになる可能性があったのである。

チェーン化のヒントは、
すかいらーく創業者の横川4兄弟

 神田は将来的に実弟の功や義弟の高橋が、それぞれ1店舗ずつのれん分けのような形で独立するのもやむを得ないと考えていた。

 しかしながら、神田は中華料理「来来軒」の大宮北銀座店、大宮南銀座店が大成功したことで、兄弟3人がそれぞれの店を持つよりも、一致団結して中華料理「来来軒」の企業化、チェーン化に取り組むことができれば5店舗、10店舗と店を増やして、それぞれがもっと豊かになれるのではないか、と考え直した。