中華料理チェーン 日高屋の看板Photo:JIJI

ラーメン屋の商売は「7割が立地で決まる」――そう語るのは、中華チェーン「日高屋」を全国450店舗超に育てた創業者・神田正氏だ。現在の日高屋といえば、駅前の一等地で24時間営業というイメージが強いが、その原点は前身の「来来軒」での成功体験にある。駅前とはいえ目立たない立地だった店を、深夜営業などの工夫で繁盛店へと変えたという。神田氏が語る、ラーメン屋が成功するための「立地」と「営業時間」の戦略とは?※本稿は、株式会社ハイデイ日高代表取締役会長の神田 正『日高屋 10人中6人に美味しいといわれたい』(日本実業出版社)の一部を抜粋・編集したものです。

30万円で始まった
「日高屋」の原点

 日高屋創業者の神田正は、1972年(昭和47年)末に知り合いの大工に内装を頼み、リース会社の友人に冷蔵庫や電話、出前用の自転車や中古のスーパーカブなど、必需品の準備を頼んでおいた。

 彼らは、年が明けるとやって来た。たった5坪の店だったが、中華料理のカウンターと厨房を作るのに少し時間がかかった。

 こうして神田は1973年(昭和48年)2月、32歳の時、たった1人で中華料理「来来軒」1号店の大宮北銀座店(現在、跡地に住宅マンションが建つ)を創業した。

 投資金額30万円。ラーメン1杯100円~120円の時代である。

 この「来来軒」大宮北銀座店こそが、現在の熱烈中華食堂「日高屋」(ハイデイ日高)の創業の原点である。

 店内は5~6人座れば満席になる。神田の最大の顧客ターゲットは、近くに21軒ある風俗店街への出前であった。

 全体で約500人の風俗店の女の子と男性店員約100人、合計約600人が働いていたと推測される。神田は電話番号入りの出前用のメニュー表を作って、風俗店や麻雀店などに、あらかじめ配布しておいた。