今回の参院選、たいした波乱もなく大方の予想通り自民圧勝で終わった。共産、維新、みんなは微増。民主は惨敗。これも予想通り。政治評論家などテレビや新聞でコメントしなければならない立場の人たちはさぞや苦労したことだろうと思う。それくらい、面白味のない選挙だったが、もちろん、面白味のあるなしと、重要性はまったく別物だ。面白味のない選挙結果だからといって、何の意味もないわけではない。
今回はその意味について、マーケティング視点と社会貢献視点から考えてみたい。つまり、「数字の本当の意味を探る」というマーケティング屋としての視点と、「それが今後の社会貢献にどのような影響を与えるか」という社会貢献活動家としての視点、2つの側面からの分析である。
日本人の中にある
「変えてくれること」への期待
まず、今回の投票率の低さ(52.51%、戦後三番目の低さ)について、識者の多くは「どうせ自分が投票しても何も変わらない」という“諦念の結果”と指摘している。しかし僕はそうは思わない。日本の国民の意識トレンドはあきらかに“変化”に向かっている。「誰か、世の中変えてほしい」という意識トレンドだ。
これは、特に2000年代に入ったあたりから顕著になってきたトレンドであり、だから社会貢献に関心を持ち、一流企業の内定を蹴って社会起業家になるような若者が増えてきたのだ。しかしこれは「世の中、自分が変えてやる」というような意識の高い若者だけでなく、老若男女すべての人に共通する傾向で、世の中を変えてくれそうな人なら、その思考や言っていることの中身をあまり吟味せずに期待してしまうという空気感も生み出してしまっている。
だから、「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉純一郎は国民的ヒーローになり、また、2009年の衆院選では一転、民主党旋風が吹き荒れた。当時は、民主党に何かを変えてくれそうな大きな期待感があり、小泉純一郎が予言したとおり、自民党はぶっ壊された。
しかしその後、政権を奪取した民主党に変える力がないことを理解した国民は、橋下徹に期待し、橋下ブームを生み出した。だが、その期待を背負ったかに見えた橋下氏も、例の慰安婦発言をきっかけに人気が急落。そうした流れのなかで国民は、前回の衆院選だけでなく、今回の参院選においても、自民党、そして安倍総理に“変化への期待”を託しただけのこと。多くの識者が指摘するように「変わらないことへの諦め」ではなく、「変えてくれることへの期待」が、今回の自民圧勝のホントの意味ではないかと僕は考えている。
ちなみに80年代は、「若者の政治への無関心」傾向が加速して批判もされていたが、この頃は日本経済が絶好調だったこともあり、多くの国民が「このままの世の中が続けばいい」と考えていた。今回の投票率の低さも、若者の政治的無関心のせいだとする意見も多いが、意味はまったく違う。今は、若者も大人も、世の中を変えてほしいと思っている。その結果が、今回の参院選の結果である。