イラン国旗を身にまとった男性写真はイメージです Photo:PIXTA

中東諸国のなかでも、イラン人の言葉や振る舞いはどこか独特だ。相手を真正面から否定せず、遠回しな表現に本音をにじませることも少なくない。その感覚は、日本人にとっては京都人のコミュニケーションに近いのかもしれない。世界的に知られる『アラビアン・ナイト』にも、そんなペルシア人の複雑な感情が刻み込まれている。※本稿は、中東研究者の高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル「ガザ以後」の中東』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

蛮族扱いのアラブ人に
ペルシア文明は征服された

 アラビア半島でイスラム教が起こると、それを奉じたアラブ人たちが怒濤の勢いで勢力圏を広げた。アラビア半島から出て西のアフリカに進んだ一群はエジプトを征服し、北アフリカを走りに走り、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島をも支配下に収めた。732年のフランスのトゥール・ポワチエでの戦いに敗れるまでアラブ人の進撃は止まらなかった。

 アラビア半島を出て逆方向に東進したアラブ軍はメソポタミアに入りササン朝の軍隊と激突した。砂嵐の中での戦闘となったカディーシーアの戦いでは、砂塵をものともしない遊牧のアラブ人がペルシア軍を圧倒した。アラブ人は、続く642年のニハーヴァンドの戦いでも勝利を収め、651年にはササン朝を滅亡させた。

 アラブ人たちは憑かれたように東進し、751年にはタラス河畔で唐軍と戦って勝利を収めている。この時の中国人の捕虜に紙職人がおり、イスラム世界に紙の製法が伝わった。製紙の技術は中東を通じてヨーロッパに達した。なおタラスは現在のキルギス共和国の領土に含まれる。