イラン・シーラーズにある通称「ピンクモスク」(マスジェデ・ナスィーロル・モルク) Photo:Unsplashイラン・シーラーズにある通称「ピンクモスク」(マスジェデ・ナスィーロル・モルク) Photo:Unsplash

イランは政教一致の国と言われている。1970年代末にイラン=イスラム革命が起き、イスラム法学者が政治を導く国となったからだ。もちろん国民はみなムスリム(イスラム教徒)ということになっている。しかし現実のイランは政治も経済も混乱が続いている。アメリカの経済制裁により原油の輸出ができなくなり、経済は低迷し、国民は貧しくなった。このような状況下でも、本当に国民はイスラムによる政治を信じ、敬虔なムスリムとして生きているのだろうか?答えはNO。実際には宗教が弱体化し、若者のイスラム離れが進んでいるという。「イスラムは絶対」と思えなくなっている、イランの悩める若者たちの生の声とは……。(イラン在住日本人 若宮 總)

※本稿は、若宮總氏『イランの地下世界』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「大事なのは人間性であって、宗教ではない」と考える若者たち

 今回は「宗教の弱体化」、つまりイランでイスラムが求心力を失いつつある現状について見てみよう。

 私の肌感覚では、10年くらい前までは、ほとんどのイラン人がムスリムとしてのアイデンティティを、多かれ少なかれ持っていたように思う。もちろん今でもそうした人たちは一定数いるものの、近年、とくに目立つのは、イスラムを世界に数多ある宗教の一つとして相対的にとらえようとする若者たちの存在だ。

 イスラムでは、ムスリムの子は生まれながらにしてムスリムであり、棄教が明るみに出れば文字どおり死罪とされるため、簡単にムスリムをやめることはできない。

 だが、若い世代に共通するのは、「自分はたまたまムスリムに生まれただけだ。大事なのは人間性であって、宗教ではない」という考え方である。そんな彼らにとって、イスラムはもはや自己のアイデンティティではなくなっている。